糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

羨ましい幸せな父親

42年前の19歳と20歳のときに新聞奨学生としてお世話になった横浜の新聞販売店の店主と何年かぶりに会いました。
店主は、大病を患い、隠居するために愛媛県の次女の近くに引っ越すのでした。
新聞奨学生のときに、その店には22歳の専業さんがいました。その専業さんとは、その後も連絡を取り合っていました。
その専業さんから連絡があったのでした。
恐らく会えるのは最後だから、引っ越す前に会っておこうとのことでした。
錦糸町の個室の居酒屋で会いました。
店主とその長女、専業さんと私の4人でした。
私が新聞奨学生だったときには、店主は36歳、長女は3歳、専業さんは22歳、そして私は19歳でした。
それが、今や店主は78歳、長女は45歳、専業さんは64歳、そして私は61歳です。
食事をしながら2時間くらい話をしました。
店主は、中卒で新聞配達になり、いくつかの新聞販売店を経営した後に、蕎麦屋の店主になり、先月まで介護施設で働いていたそうです。私が新聞奨学生だった頃は、ギャンブルにのめり込んでいて、かなりの借金があったようです。人生でかなり苦労をしたそうです。最近もだいぶお金に困っているようでした。
年金も月3万円くらいしかもらえないそうです。だから、愛媛の次女の近くに引っ越しても、生活保護を受けると言っていました。話をしていても、ボケが始まっているようで、記憶があいまいなところがありました。そのために働いていた介護施設をクビになったと話していました。
店主には、娘が2人、息子が1人います。長女と次女がとても優しい人で、店主の老後の面倒は愛媛の次女が見るそうです。店主は次女と同居はしないので、近所にアパートを借りて1人暮らしをするそうです。3日後に引っ越しをするとのことで、これが今生の別れになるであろうと思いました。
私は手土産を持って再会しました。別れる最後には、店主の手を握って、「若い頃はいろいろとお世話になりました、感謝しています」と伝えました。
店主の記憶がはっきりしているうちに感謝の気持ちを伝えられて良かったと思いました。
自分の人生は、いろいろな方にお世話になって成り立っています。
どんな方でも、自分の人生に影響を及ぼしてきました。
試練も自分が成長する機会であったと思います。
解散した後に、長女からLINEが来て、「父が今まで築いてきた人間関係の素晴らしさに感動しました」とありました。
どんな父親でも、娘がしっかりした人間に育つのだと思います。
私が店主の年齢になったときには、孤独な老後になっているのだろうと思います。どんな人生でも家族から慕われる父親は幸せだと思います。そんな父親が羨ましいです。