このところ本当に辛いことが続いています。
仕事を通じての友人は何人かいますが、腹を割って話せる友人はいません。
自分で解決するしかないことです。
こんなときに人生の原点を振り返りたいと思います。
自分が自立した原点は、新聞奨学生として横浜で働いた2年間です。
大学に合格することができず、実家を飛び出しました。
親には相談しませんでした。
今から42年前の19歳から20歳にかけてです。
そのときに一緒に働いていた同僚とはLINEで繋がっています。
同じ年齢で、お互い地方から出てきて、予備校に通いながら新聞奨学生として働いていました。
朝4時に起きて新聞を配達していました。
夕刊の配達もあります。
雨の日も、風の日も、台風の日も、新聞を配達していました。
新聞販売店の近くの木造の古いアパートに住んでいました。
風呂なし、トイレは共同です。
食事は新聞販売店の奥さんが作ってくれました。
あのときの未来が見えない苦しさから考えれば、まだ今の苦しさを軽く感じることができます。
私の人生は、あのときから糸が切れた凧になってしまいました。
同僚は、M大学の2部に合格し、次の年には違う新聞販売店に移りました。
そして卒業後は、東北の小学校の先生になりました。
私と同じ61歳ですから、昨年度に定年退職して、再任用で小学校で働いています。
彼に近況報告のLINEをしてみました。
あのときのことを思い出すためです。
他人に相談できない自分に腹が立つこともあります。
今の自分の辛さを、過去の辛さで上塗りすることで生きてきました。
私の人生はまだまだ紆余曲折になりそうです。
でも、自分の人生に終止符を打つことはできません。
少なくとも、アルバイトで働いている26歳の次男が正社員として働くのを見届けるまでは。
友人も元気で働いています。
私も頑張らねばと思いました。
人生には乗り越えられない試練はありません。