糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

人生を無理やり楽しむ

寿命が分かればいいのに、と思うことがある。
あと何年生きるのかが分かれば、老後の計画も立てやすい。
貯金はいくら必要なのか。
いつ仕事を辞めればいいのか。
残りの人生を、どう過ごせばいいのか。
そんなことを考えるようになった。
私は来年、65歳になる。
いよいよ「前期高齢者」と呼ばれる年齢である。
自分がそんな年齢になるなんて、若い頃には想像もしなかった。
64年間も生きてくれば、身体のあちこちにガタがくる。
毎朝、7錠の薬を飲んでいる。
幼い頃には、公害喘息の認定患者だった。
季節の変わり目になると喘息の発作が起き、息が苦しくなった。
高校生になる頃には、発作も出なくなった。
それから今日まで、なんとか生きてきた。
「よく生きてきたな」と、最近は本当に思う。
老後のために、いくら用意すればいいのだろう。
年金は、いったいいくらもらえるのだろう。
そんなことを、これまで真剣に考えたことがなかった。
働けるだけ働けばいい。
そう思って、ここまで来たからである。
けれど、最近はふと思う。
嫌なことを我慢してまで、仕事を続けることが、本当に幸せなのだろうか。
仕事を辞めれば自由になる。
朝、決まった時間に起きなくてもいい。
嫌な人に会う必要もない。
仕事のことで悩むこともなくなる。
それは、とても魅力的に思える。
ところが、先に退職した仕事仲間の話を聞いていると、そう簡単でもないらしい。
退職してしばらくは、旅行に行ったり、ゴルフをしたり、美味しい店を探したりして、それなりに楽しく過ごしている。
ところが、数か月もすると飽きてしまう。
そして、また仕事を始める。
そんな話を、何度も聞いてきた。
結局、人間は「自由」だけでは生きていけないのかもしれない。
仕事には、面倒なことも多い。
嫌なこともある。
人間関係に疲れることもある。
それでも、仕事をしていれば、誰かと話す。
誰かに必要とされる。
社会とつながっている。
それがなくなったとき、自分はいったい何をすればいいのだろう。
ひとつだけ、私には分かっていることがある。
私のように、仕事ばかりしてきた人間は、仕事を失ったときに孤独になりやすい。
孤独に耐えられるだろうか。
今さら近所のコミュニティに入っていくのも難しい。
趣味の仲間を一から作るのも、そう簡単ではない。
私はこれまで5回転職し、現在が6つ目の職場である。
今は部長という立場にいる。
けれど、会社を辞めたあとも、わざわざ会いたいと思う同僚がいるかと聞かれれば、正直に言って、ほとんどいない。
これまでの職場でも、退職してからも交流が続いている人は、2~3人しかいない。
少し寂しい話だが、それが現実なのだと思う。
仕事をしている間は、肩書や立場、仕事上の利害でつながっている。
しかし、その仕事がなくなれば、その関係も少しずつ消えていく。
利害でつながっている人間関係なんて、利害がなくなれば、あっけなく消えてしまう。
そう考えると、長い会社員人生はいったい何だったのだろうと思うこともある。
そして、3日前の月曜日から、お盆休みに入った。
仕事から解放されたはずなのに、気がつけば家の大掃除と庭の草取りで休みが終わってしまった。
これが、65歳を目前にした男の休日かと思うと、少し笑ってしまう。
でも、笑っている場合でもない。
何かを始めなければならない。
そう思って、久しぶりに一眼レフカメラを取り出した。
カメラを手にするのは、本当に久しぶりだった。
昨年、ミラーレス一眼の入門機を中古で購入した。
以前から持っていたキヤノンのEFレンズが何本かあるので、アダプターを付ければ使うことができる。
入門機では少し物足りなくなってしまい、ついにAmazonで新品の中級機まで買ってしまった。
動画も撮影できる。
我ながら、何をやっているのだろうと思う。
65歳を目前にして、新しいカメラを買う。
でも、それでいいのだと思う。
人生は、いつ終わるのか分からない。
だからこそ、残りの人生をどうするかを考えすぎても仕方がない。
旅行に行きたいなら行けばいい。
美味しいものを食べたいなら食べればいい。
写真を撮りたいなら撮ればいい。
大きな目標なんて、なくてもいい。
「老後を楽しもう」などと立派なことを考える必要もない。
朝起きて、今日は何をしようかと考える。
そして、少しでも面白そうなことがあればやってみる。
つまらなければ、また別のことを探せばいい。
64歳。
人生の終盤に差しかかっていることは、もう認めなければならない。
身体も若い頃のようには動かない。
友人も少なくなった。
仕事を辞めれば、人とのつながりもさらに減っていくだろう。
正直、不安である。
寂しくもある。
それでも、残りの人生を「何もすることがない」と嘆いて過ごすのは、もっと寂しい。
だから私は、少し無理をしてでも楽しもうと思う。
写真を撮る。
知らない場所へ行く。
美味しいものを食べる。
そして、くだらないことで笑う。
「人生を楽しむ」というより、むしろ「人生を無理やり楽しむ」。
64歳の私は、そんなふうにして、これからの人生を生きてみようと思っている。

人生には順番がある

元上司の訃報を知らせる葉書が自宅に届いた。
差出人は奥様だった。ご主人は2か月前に亡くなられ、享年79歳だったという。死因は書かれていなかった。
仕事から帰宅し、ポストから取り出した葉書を玄関の薄明かりの中で読んだ瞬間、私は体が固まった。
その方は、私が40歳頃に大変お世話になった上司である。
大手自動車メーカーで広報次長を務めた後、55歳で早期退職し、まったく異なる業界へ転職してきた。私より15歳年上だった。
当時の私の職場には、大企業から転職してきた管理職が何人もいた。

その中でも彼の能力は群を抜いていた。

仕事の進め方は論理的で、判断は的確。

しかもハンサムで身なりも洗練されており、「一流企業で鍛えられた人は違う」と感心したことを今でも覚えている。
定年まで数年間を無難に過ごそうとする管理職も少なくなかったが、彼は違った。
「60歳までの5年間で結果を出す」
そんな覚悟が伝わってきた。

その姿勢に応えたい一心で、私も必死に働いた。
彼と一緒に仕事をしたのは5年間だった。

広報部門でマーケティングの考え方や実践を数多く教えてもらった。

その経験は私の財産であり、64歳になった今でも第一線で働き続けられているのは、その教えがあるからだと思っている。
転職を考えたときも真っ先に相談した。

最後に背中を押してくれたのも彼だった。
定年後、彼は八ヶ岳の麓に別荘を建て、自然に囲まれた暮らしを始めた。

私は二度ほど泊まりで訪ねたことがある。
「また会いに行こう。」
そう思っていた矢先に届いた訃報だった。
この頃、お世話になった先輩方の訃報に接することが増えてきた。
それは同時に、自分自身も人生の終盤へと歩みを進めていることを実感する出来事でもある。
だからこそ、会いたい人には会い、感謝を伝えたい人には、元気なうちに「ありがとう」を伝えておきたい。
人生には順番がある。
先輩たちが旅立ち、その後を私たちが歩いていく。

その順番は変えられない。
だからこそ、「いつか」ではなく「今」のうちに、大切な人との時間を大事にしたい。
そうしなければ、きっと人生に後悔を残してしまうような気がする。

もう一度、故郷に

最近、死というものを意識するようになってから、不思議と故郷のことを思い出すようになりました。
正直に言えば、実家にはあまり良い思い出がありません。温かい家庭だったとは言えないからです。
それでも、私が18年間を過ごした故郷は、間違いなく私を育ててくれた場所です。だからこそ、故郷には感謝しています。
子どもの頃に見た富士山の美しい姿は、今でもまぶたの裏に焼き付いています。
冬の澄み切った朝や夕方、青い空にくっきりと浮かぶ富士山は、手を伸ばせば届きそうなほど近くに感じられました。学校の行き帰りには、晴れていればいつも富士山を眺めていました。
あの頃は当たり前だった景色が、今では何よりも懐かしく思えます。

19歳で故郷を離れてから、実家へ帰ったのは数えるほどしかありません。それでも数人の幼なじみとは今もつながっています。
年月が過ぎるにつれ、同級生の訃報が届くことも増えました。
私自身も64歳になりました。軽い脳梗塞や大腸ポリープを経験し、健康診断では要検査や要治療の結果が珍しくありません。毎朝、7錠の薬を飲むことが日課になっています。

父は70歳で心筋梗塞のため亡くなりました。その年齢まで、私もあと6年です。
まだ仕事は続けています。しかし、以前よりも「人生には終わりがある」ということを、自然と考えるようになりました。
だからでしょうか。
もう一度、故郷の景色を見たい。
あの頃の自分が歩いた道を歩き、自分がたどってきた人生を静かに振り返ってみたい。
そんな思いが、日を追うごとに強くなっています。
今年のお盆休みは故郷へ帰り、思い出の場所をゆっくり歩いてこようと思います。
その景色は、きっと昔と同じようでいて、昔とは違って見えるのでしょう。

久しぶりにブログを更新する

最近、文章を書くことには想像以上にエネルギーが必要だと実感している。

64歳になり、以前のように頭が回らなくなってきたのだろうか。

それとも、日々の忙しさで心に余裕がなくなっているだけなのか。

 

仕事は相変わらず多忙だ。

朝6時30分に家を出て、帰宅するのは夜9時頃。

家事を済ませて寝ると、あっという間に朝が来る。

そんな毎日を繰り返している。

 

勤務先の経営は厳しい状況が続いている。

そして、その影響なのか、優秀な社員から次々と退職していく。

私自身、これまで6つの組織で働いてきたが、組織のレベルと、そこで働く人たちの意識や行動には相関関係があると感じている。

経営が苦しくなると、人間関係もぎくしゃくし始める。

同僚を心から信頼できなくなり、組織全体に閉塞感が漂う。

私はサラリーマン人生の最後くらいは、自分が培ってきた経験やスキルを生かせる組織で働きたいと思い、声をかけていただいた今の職場へ転職した。

しかし、現実は想像以上に厳しかった。

問題は経営状態だけではない。

社員一人ひとりの意識にも大きな課題がある。

ごますりやいじめは、残念ながらどこの組織にも多少は存在する。

しかし、経営陣への密告が日常的に行われるような職場を経験したのは久しぶりだ。

毎月のように優秀な社員が一人、また一人と辞めていく。

「勘の良いネズミは沈む船から逃げる」という言葉を思い出さずにはいられない。

 

何とか組織を立て直そうと努力しても、足を引っ張られることも少なくない。

64年間生きてきて、私が学んだことが一つある。

それは、「環境を変えれば、人生も変わる」ということだ。

より良い人生を送りたければ、自分を成長させてくれる環境を選ぶことが大切だ。

逆に、悪い環境に長く身を置けば置くほど、その影響を受け、自分の人生まで悪い方向へ引きずられてしまう。

 

来年4月、私は65歳になる。

いよいよ年金を受け取る年齢だ。

そろそろサラリーマン人生に区切りをつけ、新しい人生を歩み始めるタイミングなのかもしれない。

故郷は遠きにありて思ふもの

久しぶりに、故郷の静岡へ車で帰りました。

自宅から高速道路を使って約3時間半。

今回は出張のついでに、先祖の墓を管理している菩提寺へ管理費を納めるために立ち寄りました。

両親が亡くなった後、実家はすでに売却しています。

墓じまいも考えたのですが、想像以上に費用がかかることが分かり、今はまだ踏み切れずにいます。

ただ、自分が元気なうちに、いずれはきちんと整理しておきたいと思っています。

私が故郷を離れてから、気がつけば40年近くが経ちました。

親戚づきあいも今では1軒だけになり、昔からの知り合いとも少しずつ疎遠になっていきました。

今の私にとって故郷へ帰る理由は、寺へ管理費を納めることくらいになっています。

そして故郷の風景や記憶も、少しずつ薄れてきました。

64歳になり、長距離の運転も以前ほど楽ではなくなりました。

体力的な負担を感じるたびに、故郷がますます遠くなっていくような気がします。

それでも不思議なことに、記憶が薄れていく中で最後まで残るのは、楽しかった思い出ばかりのような気がします。

それなら、それでいいのかもしれません。

「故郷は遠きにありて思ふもの」

室生犀星の言葉が、少し分かる年齢になった気がします。

本人が気づいていない老害

64歳で転職した会社で、部下として一緒に働くことになった女性が、偶然にも昔の同僚の奥さんでした。世の中は本当に狭いものだと感じました。
その元同僚は私より1歳年上で、定年を1年残して早期退職しています。一方、同い年の奥さんは現在も勤務を続けており、今年65歳で定年を迎えます。大学卒業後、40年以上同じ会社に勤め、役職にも就いていましたが、現在は役職定年となり、一般社員として働いています。
私が4月に転職してきてから約2か月半、同じフロアで働く機会がありました。勤続年数は社内で最長クラスで、まさに「会社の主」といった存在感がありました。
ただ、役職を離れて3年が経っているにもかかわらず、今でも管理職のように振る舞っています。そのため若い社員たちは少し距離を置いていました。
会社の経営状況が変わっているにもかかわらず、過去の成功体験に強くこだわり、以前のやり方を押し通そうとします。さらに、自分より若い女性社員に指示を出し、直属の上司である59歳の女性課長に対しても、逆に命令するような場面がありました。
部長である私にとっては、正直かなり対応に苦労する存在でした。
昨日、その彼女から「相談があります」と言われ、応接室で話をしました。内容は「定年を待たずに退職したい」というものでした。
その話を聞いたとき、私は内心少しホッとしました。
昔の同僚の奥さんということもあり、いろいろ話を聞いていたのですが、印象的だったのは、本人が自分自身の問題にまったく気づいていないことでした。
本人としては、むしろ「会社のため」「周りのため」と思って行動していたのです。しかし、自己評価と周囲からの評価は大きくズレていました。
これでは状況が改善しないのも当然です。
同時に感じたのは、役職定年後も定年まで会社に残る人は、自分自身を客観的に見続けることが大切だということです。少し油断すると、知らないうちに周囲の負担になってしまうことがあります。
「人のふり見て我がふり直せ」。
今回の出来事を通して、自分自身も老害にならないよう、常に客観的に自分を見つめることを心がけたいと思いました。

ボケーっとすることの大切さ

63歳のとき、人材紹介会社を通じて転職の話をいただきました。
当時勤めていた会社では、役員ではありませんでしたが、経営を支えるアドバイザーのような立場でした。業績に対する責任はなく、その分、大きな権限もありません。会社の経営は安定していて、給与にも不満はありませんでした。
傍から見れば、恵まれた環境だったと思います。


しかし、私の心の中には、どうしても消えないモヤモヤがありました。
定年退職まで残り2年。
このまま無難に過ごして終わるのか。それとも、もう一度、自分の力を試してみるのか。
そんな思いを抱えていたときに舞い込んできたのが、転職の話でした。
長年培ってきたスキルや経験を活かして成果を出したい。
サラリーマン人生の最後くらい、自分の持てる力を出し切って燃え尽きたい。
心の奥でくすぶっていた火に、一気に火がついた瞬間でした。


そして今年の4月、私は転職をしました。
現在は業績が悪化している会社で、二つの部署の部長を兼務しています。
転職から2か月半。
会社の状況は決して楽観できるものではありません。むしろ、業績の悪化に歯止めをかけることができるのか、毎日が真剣勝負です。
私はこれまで6社で働いてきました。
その経験から強く感じるのは、「組織は人で成り立っている」ということです。
業績が悪くなると、有能な若手社員から辞めていきます。
それは無理もありません。
人は厳しい環境だから辞めるのではなく、将来に希望が見えなくなったときに辞めるのです。
幸い、私の部署ではまだ退職者は出ていません。
しかし、何もしなければ時間の問題でしょう。
だからこそ、この厳しい状況の中で若手社員を元気づけ、希望を持ってもらうことが、今の私の大切な仕事だと思っています。
聞くところによると、前任者たちは怒鳴ることで組織を動かしていたようです。
恐怖による統率です。
私はそうしたやり方を選びません。
感情ではなく根拠で語り、相手を尊重しながら仕事を進めたいと思っています。
怒鳴ることで威厳を示そうとする人もいますが、本当の信頼は恐怖からは生まれないと私は考えています。
正直なところ、数年後に会社がなくなる可能性もあるでしょう。
それでも私は、ここで働く社員たちに、どこへ行っても通用する力を身につけてほしいと思っています。
会社に未来があるかどうかは分かりません。
しかし、一人ひとりの人生には未来があります。
その未来に少しでも貢献できれば、それだけで私がここに来た意味があると思うのです。


毎朝8時30分に出勤し、19時に退勤するまで、頭はフル回転です。
さらに通勤時間が往復で約4時間あります。
当初は、その時間を読書に使おうと思っていました。
しかし最近、あることに気づきました。
それは、「何もしない時間」の大切さです。
電車の窓から流れる景色を眺めながら、ただボケーっとする。
仕事のことも、数字のことも、組織のことも考えない。
そんな時間が、知らず知らずのうちに疲れた頭と心を整えてくれるのです。
若い頃は、空いた時間があれば何かを学ばなければと思っていました。
けれど、この年齢になって分かることがあります。
頑張り続けるためには、立ち止まる時間も必要だということです。
前に進ためには、あえて何もしない時間が必要なのです。
電車の中でボケーっとする。
それは怠けているのではありません。
明日もまた全力で働くための、大切な準備時間なのだと思います。