糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

40歳を過ぎたら、仕事は頑張らないほうがいいかもしれない

私の部下に、48歳の男性がいます。
課長代理です。
独身で、ご両親と暮らしています。
仕事一筋の人生を送ってきたようです。
休みの日でも、Teamsが立ち上がっている。
おそらく仕事をしているのでしょう。
とにかく、一生懸命です。
与えられた仕事は何度も見直し、ミスは少ない。
会社では、黙々と机に向かって仕事をしています。
子どもの頃から野球一筋。
大学時代も、勉強より野球を優先していたそうです。
「努力すること」
「一つのことを極めること」
それが、彼の生き方だったのかもしれません。
ところが、48歳になった今も、課長代理のままです。
年齢だけを考えれば、とっくに課長になっていてもおかしくありません。
本人も、課長になりたいと思っています。
ところが、なぜ自分が昇任できないのか、その理由が分かっていません。
そこが、彼の苦しさなのだと思います。
彼は仕事をしていないわけではありません。
むしろ、人一倍やっています。
では、なぜ評価されないのでしょうか。
私は、そこに「40代の働き方」の難しさがあると思っています。
20代、30代なら、
「誰よりも頑張る」
「与えられた仕事を正確にやる」
という姿勢が、そのまま評価につながることがあります。
でも、40代になると、それだけでは足りなくなります。
過去のやり方を踏襲するだけではなく、新しいことに挑戦する。
自分の仕事だけを見るのではなく、周囲を見る。
「自分が正しいか」ではなく、
「周りがどう感じるか」を考える。
そして何より、
「この人と一緒に働きたい」
と思ってもらえること。
管理職になるということは、自分が頑張ることではありません。
人に動いてもらうことです。
だから、自分一人で黙々と仕事をする能力と、部下が力を発揮できる環境をつくる能力は、まったく別物なのです。
彼は、若い女性社員との関係があまり良くありません。
女性の課長との関係も良くありません。
本人は「仕事をきちんとやっているのだから、評価されるべきだ」と考えているのかもしれません。
でも、組織は仕事の正確さだけで動いているわけではありません。
人間関係も、空気も、信頼も、評価の一部です。
特に女性の多い職場では、男性同士の縦社会とは違うコミュニケーションが求められることがあります。
「仕事さえできればいい」
では、通用しない場面が増えてくるのです。
そして、ここで私は自分自身にも問いかけます。
40歳を過ぎても、まだ20代と同じような頑張り方をしていないだろうか。
仕事を抱え込んでいないか。
自分だけで頑張ろうとしていないか。
「こんなに頑張っているのに、なぜ評価されないんだ」と思っていないか。
もしかすると、40歳を過ぎたら、
「もっと頑張る」ことより、「頑張らない」ことが必要なのかもしれません。
自分が全部やるのではなく、人に任せる。
正解を押しつけるのではなく、人の話を聞く。
自分の成果を追いかけるのではなく、周りの人が成果を出せるようにする。
そして、
「自分がどう見られているか」
ではなく、
「自分と一緒に働く人が、どんな気持ちで仕事をしているか」
を考える。
組織で働く人には、昔から「VSOP」という言葉があります。
20代はV=Vitality(バイタリティ)。
30代はS=Speciality(スペシャリティ)。
40代はO=Originality(オリジナリティ)。
50代はP=Personality(パーソナリティ)。
年齢を重ねるほど、求められるものは変わっていく。
40代になったら、若い頃と同じように「量」で勝負するのではなく、自分なりの価値を生み出す。
そして50代になったら、最後に問われるのは「人間性」なのかもしれません。
どれだけ仕事ができるか。
どれだけ努力できるか。
それだけでは、人はついてきません。
「この人のためなら頑張りたい」
そう思ってもらえる人になれるかどうか。
それが、年齢を重ねた人の大きな仕事なのだと思います。
だから私は最近、
40歳を過ぎたら、仕事は頑張らないほうがいい。
そんなことを考えています。
正確には、
「自分のために頑張る仕事」から、「人を生かすための仕事」へ変えていく。
それが、40代からの働き方なのではないでしょうか。
一生懸命なのに、なぜか評価されない。
頑張っているのに、なぜか人がついてこない。
もし、そんな思いを抱えている40代、50代の人がいたら。
もしかすると、足りないのは「努力」ではないのかもしれません。
頑張り方を変える時期が来ているのかもしれません。

老後の心配事

先日、4年前まで一緒に働いていた元部下たちと、久しぶりに飲みに行った。
きっかけは30歳代の女性の元部下から届いたLINEだった。
彼女は当時、子育てが忙しく、私の退職時の送別会に参加できなかった。
それがずっと心残りだったらしい。
「久しぶりにみんなで会いませんか?」
そんな連絡をもらった。
彼女が当時の同僚たちにも声をかけ、集まったのは5人。
御茶ノ水の創作居酒屋で、久しぶりの再会を果たした。
64歳の私。
50歳代の男性が2人、60歳代の女性が1人、そして30歳代の女性が1人。
全員、かつて私の部下だった人たちだ。
50歳代の男性の一人は転職し、現在は六本木のディベロッパーで働いている。
他の3人は、今も同じ会社で働いている。
元部下たちとの再会が嬉しくて、私は少し奮発して、一人ひとりにお土産まで用意した。
何より嬉しかったのは、私が会社を辞めてから4年も経っているのに、
「また集まりましょう」
と言ってもらえたことだった。
私は長いサラリーマン生活の中で、いろいろな上司のもとで働いてきた。
そして、正直に言えば、
「退職してからも、また会いたい」
と思う上司は、そう多くない。
むしろ、
「もう二度と会いたくない」
と思う上司もいた。
だからこそ、今回の再会には特別な意味があった。
少なくとも私は、部下たちに嫌われるだけの上司ではなかったのだろう。
自分のやってきたことは、間違っていなかった。
そんなふうに思うことができた。
そして、あらためて気づいた。
私が生きるうえで、大切にしているものは何なのか。
それは、
「あなたがいてくれて良かった」
そう思ってもらえることだ。
お金でもない。
肩書でもない。
有名になることでもない。
誰かの人生の中で、
「この人がいてくれて良かった」
と思ってもらえること。
それが、私にとっての生きる原動力なのだと思う。
64歳になった今も、私はそのために働いている。
飲み会の帰り際、
「今度は忘年会をやりましょう」
という話になった。
もしかすると、社交辞令だったのかもしれない。
それでも私は嬉しかった。
なぜなら、そこには、
「また会いたい」
という気持ちが少しでも含まれているように感じたからだ。
私は来年、定年を迎える。
仕事をしている間は、会社の中に自分の居場所がある。
誰かから仕事を頼まれる。
誰かに相談される。
誰かの役に立つ。
それが当たり前の日常だった。
しかし、定年を迎えた瞬間、
その「当たり前」がなくなる。
仕事以外で、自分を必要としてくれる人がいるのだろうか。
これは、老後のお金よりも、私にとって大きな心配事なのかもしれない。
老後というと、
「いくら貯金があるか」
「年金はいくらもらえるか」
「健康でいられるか」
そんなことばかりが話題になる。
もちろん、それらも大切だ。
でも、本当に怖いのは、
「自分は、誰かに必要とされているのだろうか」
ということなのかもしれない。
定年になったら、会社という「役割」はなくなる。
肩書もなくなる。
でも、人としての価値までなくなるわけではない。
だから私は、これからの人生で、
「あなたがいてくれて良かった」
と言ってもらえる場所を、仕事以外にも少しずつ増やしていきたい。
そして、いつか自分が誰かにそう言う側にもなりたい。
老後に必要なのは、
お金だけではない。
「自分には、まだ誰かの役に立てることがある」
そう思えること。
それが、これからの人生を生きる力になるのだと思う。

老後の生きる気力

最近、人からの依頼ごとが続いた。
仕事がらみのものもあれば、プライベートな相談もあった。
プライベートの相談は、一緒にランチをしながら話を聞いた。
人の人生に偉そうなことを言えるほど立派な人生を歩んできたわけではない。
自分自身、紆余曲折の多い人生だった。
それでも、いろいろな経験をしてきた分、人の話を聞くくらいのことはできる。
キャリアコンサルタントの国家資格も持っているので、「傾聴」も一応、心得ている。
話を聞いているうちに、ふと思った。
人間というのは不思議なものだ。
自分のことになると、「もういいか」と諦めてしまうことがある。
ところが、人から頼まれると、なぜか頑張れる。
「あなたに相談したい」と言われると、放っておけない。
ダイエットだってそうだ。
自分のためだけに始めたことは、なかなか続かない。
ところが、誰かのためなら頑張れる。
どうやら人間は、「自分のため」だけでは、なかなか力が湧いてこない生き物なのかもしれない。
利己主義より利他主義のほうが理解できる。
少なくとも私はそうだ。
人から相談を受けたとき、いつも考えることがある。
相談された問題そのものを解決できるとは限らない。
むしろ、解決できないことのほうが多い。
特に人間関係はそうだ。
相手がいる以上、こちらの努力だけではどうにもならない。
他人を変えることはできない。
だから、最後は自分が変わるしかない。
そんな話をしながら、相手が少しでも元気になってくれれば、それでいいと思っている。
相談に乗るというのは、問題を解決することではない。
「もう少し頑張ってみよう」と思えるところまで、一緒に歩くことなのかもしれない。
そして最近、そんなことを考える機会が増えた。
仕事がらみの相談は、仕事を辞めればなくなる。
当たり前のことだ。
退職すれば、肩書きもなくなる。
部長でもなくなる。
「○○さんに聞けば分かる」と頼られることもなくなる。
そこで、ふと思う。
人から頼りにされることが、自分の生きる力になっているのではないか。
人から必要とされる。
「あなたに聞いてよかった」
「あなたがいてくれてよかった」
そう言ってもらえる。
それは、単なるお世辞ではない。
自分がこの世に存在している意味を、一瞬でも感じさせてくれる言葉だと思う。
だから、頼りにされることは嬉しい。
思っている以上に、嬉しい。
そして、少し怖くなる。
それがなくなったとき、自分には何が残るのだろう。
今年4月に退職した元同僚がいる。
退職後、しばらくは趣味を楽しみながら過ごしていた。
時間はたっぷりある。
好きなことをしていればいい。
最初の半年くらいは、それなりに楽しかったらしい。
しかし、それにも飽きてしまった。
そして、最近になって仕事を始めた。
以前とはまったく違う職種である。
「なぜ、今さら仕事をするのか」と聞くと、
どうやら、趣味だけでは満たされなかったらしい。
自分のために使う時間は、確かに楽しい。
しかし、それだけでは「生きがい」にはならない。
誰かに必要とされる。
誰かの役に立つ。
社会とつながっている。
その実感が欲しかったのだと思う。
それを聞いて、他人事ではないと思った。
定年退職をすれば、自由になる。
誰にも命令されない。
毎朝、満員電車に乗らなくてもいい。
嫌な上司に会う必要もない。
好きな時間に起きて、好きなことをすればいい。
一見すると、夢のような生活である。
でも、本当にそれだけで人は幸せなのだろうか。
自由と生きがいは、同じではない。
時間があることと、充実していることも違う。
「何をしてもいい」ということは、
裏を返せば、
「あなたがいなくても、誰も困らない」
ということなのかもしれない。
これは、現役時代を長く生きてきた人間にとって、かなり厳しい現実である。
特に、昭和の時代を生きてきたサラリーマンは、
「会社のため」
「家族のため」
「誰かのため」
に頑張ることを美徳としてきた。
自分のために生きることを、あまり教わってこなかった。
だから定年を迎えた途端、
「さて、自分は何のために生きればいいのだろう」
と戸惑ってしまう。
これが、昭和のサラリーマンの悲しい性なのかもしれない。
でも、考えてみれば、まだ間に合う。
仕事を辞めても、人の役に立つことはできる。
相談に乗ることもできる。
誰かの話を聞くこともできる。
困っている人に手を差し伸べることもできる。
小さなことでいい。
「あなたがいてくれてよかった」
そう言ってもらえる場所を、もう一度、自分で探せばいい。
老後に必要なのは、
お金だけでもない。
健康だけでもない。
趣味だけでもない。
「自分は、まだ誰かの役に立てる」
そう思えることなのではないだろうか。
人から必要とされること。
誰かの役に立つこと。
そして、
「今日も生きていていい」
と思えること。
それが、老後を生きる気力になるのだと思う。

自分は何をしたいのだろうか

お盆休みは、何もしないことにした。
朝から予定を入れることもなく、仕事のこともできるだけ考えず、ただボーッとする。
そうしてみて、初めて気がついた。
自分は、思っていた以上に疲れていたのだ。
仕事に追われ、ストレスを抱えたまま毎日を過ごしていた。

朝6時30分に家を出る。
そして、家に帰るのは21時を過ぎる。
往復の通勤時間は、約4時間。
一日のかなりの時間を、電車の中で過ごしている。
64歳で転職した。
「サラリーマン人生の最後を、この仕事で締めくくろう」
そんな気持ちで、業績が低下している会社に飛び込んだ。
声をかけてもらったことも嬉しかった。
自分の経験を、最後にもう一度役立てたい。
そう思った。

今は、二つの部署の部長をしている。
しかし、実際に中に入ってみると、想像していた以上に状況は厳しかった。
優秀な社員は、すでに会社を去っている。
残された社員で、何とか業績の悪化にブレーキをかけなければならない。
そのためには、仕事のやり方そのものを変える必要がある。
ところが、長年続いてきたやり方を変えることは、簡単ではない。
「今までこうやってきた」
その一言が、組織を変える大きな壁になる。

会社を変えるには、システムを変えるか、人を変えるしかない。
でも、人を変えることはできない。
人は、誰かに変えられるものではない。
本人が「変わらなければ」と気づき、自分自身で変わっていくしかない。
だから時間がかかる。
けれど、会社の衰退は、人が成長するのを待ってはくれない。
社員が変わっていくスピードより、会社が衰退していくスピードのほうが速い。
だから、なかなかブレーキがかからない。
それが、今の私にとって最大のストレスになっている。

冷静に考えれば、ここまで会社の状況を悪化させてしまった責任は、経営にあるのだと思う。
社員だけの責任ではない。
それでも、今この場所にいる以上、私にもできることはある。
自分がこれまで培ってきた業務のノウハウを伝える。
少しでも仕事のやり方を変える。
一人でも多くの社員が、自分の仕事に向き合い、成長するきっかけをつくる。
それくらいしか、私にはできない。
この会社に残る社員の多くは、ここで最後まで働くことになるのだろう。
転職という選択肢を持てる人ばかりではない。
だからこそ、この会社の中で少しでも成長してほしいと思う。
会社が変わるのを待つのではなく、自分自身が変わってほしい。
そんな思いで仕事をしている。

ただ、時々こう思う。
「なぜ、64歳の自分が、ここまで背負わなければならないのだろう」
来年4月からは、年金を受け取れる年齢になる。
つまり、もう「働き続けなければ生きていけない」という状況ではない。
逃げようと思えば、逃げられる。
それなのに、逃げることをためらっている自分がいる。
私に声をかけてくれた役員は、9月末で退職する。
私をこの会社に誘ってくれた人だ。
その役員に代わって、新しい役員がやって来た。
一流大学を卒業し、アメリカの大学院まで出て、長年メガバンクで働いてきた人だ。
先日、その方と3人で酒を飲んだ。
その席で、その方が私のことをとても気にかけてくれていることが分かった。
それが、少し嬉しかった。
もしかすると、何かが変わるかもしれない。
そんな期待も、ほんの少しだけある。

でも、64歳になった今、これからの時間は若い頃とは違う。
往復4時間の通勤を続けることは、正直かなりきつい。
業績を上げなければならないというプレッシャーも大きい。
そして何より、
「自分は、残りの人生をどう生きたいのだろう」
という問いが、頭から離れない。
仕事を辞めて、自由な時間を手に入れる。
もう一度、最後まで仕事に挑戦する。
それとも、これまでとは違う人生を始めてみる。
どれが正解なのか、今の私には分からない。

ただ、お盆休みに何もせず、ボーッと過ごしてみて思った。
人は、走り続けていると、自分がどこへ向かっているのか分からなくなる。
だから、立ち止まる時間も必要なのだ。
64歳。
人生の終盤に差しかかっている。
だからこそ、これからは「何をしなければならないか」ではなく、
「自分は、本当は何をしたいのか」
を考えてみたい。
まだ答えは出ていない。
でも、焦って答えを出す必要もないのかもしれない。

人生のリスタート

お盆休みは、普段なかなか会えない人に会った。
高校時代の後輩、そして元同僚。
3人の人と会った。
最近、心に決めていることがある。
「会いたいと思った人には、会えるうちに会っておく」
なぜなら、みんな還暦を過ぎているからだ。
次にいつ会えるかは分からない。
だから、交通費がかかっても、宿泊費がかかっても、会いに行く。
一緒に食べ、酒を飲みながら話していると、いつの間にか昔話になる。
「あの頃は、こうだったな」
「お前は、あのとき、こうしていたよな」
そんな話をしているうちに、ふと不思議な感覚になる。
お互いの60年以上の人生を語り合っていると、まるで自分の人生の「答え合わせ」をしているようなのだ。
人生に正解がないことくらい、分かっている。
それでも、ときどき思う。
「自分の人生は、これで良かったのだろうか」
この問いは、64歳になった今でも消えない。
お盆休みに会った3人は、全員まだ現役だった。
今も仕事を続けている。


人生には、必ず転機がある。
振り返れば、自分の人生にも何度か転機があった。
そんなことを考えていた一昨日、テレビを観ていた。
NHKのドキュメンタリー番組だった。
そこで、あるマンションが映った。
その瞬間、目が止まった。
45年前、自分が新聞奨学生をしながら浪人していた頃、新聞を配っていたマンションだった。
まさか、と思った。
しかし、間違いなかった。
45年前の記憶が、一気によみがえってきた。
新聞を抱えて、走った。
一軒一軒、各部屋のドアにあるポストへ新聞を入れていく。
月末になれば、集金にも回った。
あの頃の自分は、自分の将来に希望を見いだせず、焦っていた。
実家を飛び出し、ひとりで暮らしていた。

誰にも頼れなかった。
「これから自分は、どうなるのだろう」
そんな不安を抱えながら、毎日を必死に生きていた。
そして45年後。
テレビの画面に、そのマンションが映っていた。
建物は、あのときの姿のまま、そこにあった。
45年前、絶望の中にいた自分。
その自分が、なんとかそこから抜け出し、64歳になった今も生きている。
なんとも言えない気持ちになった。

お盆休みには旧友と会い、人生を振り返った。
そしてその直後、45年前の自分がいた場所を、テレビが突然見せてくれた。
何という偶然だろう。
いや、偶然というより、
「一度、自分の人生を振り返ってみなさい」
そう言われているような気がした。
64歳まで生きてくると、自分にどれほどの能力があるのかも、だんだん分かってくる。
自分は、決して能力が高い人間ではない。
人より器用に生きることもできなかった。
人に頼ることも苦手だった。
人間関係の計算もできない。
要領よく立ち回ることもできない。

そんな不器用な自分が、どうやって生きてきたのか。
考えてみれば、答えは一つだった。
人より汗をかくしかなかった。
ただ、それだけだった。
そして、もう一つ気づいたことがある。
45年前の自分と、今の自分は、実はそれほど変わっていない。
不器用で、要領が悪くて、人に頼るのが苦手。
64歳になっても、根っこの部分は同じなのだ。
それでも、ここまで生きてこられた。
ここまで働いてこられた。

なぜだろう。
自分一人の力ではない。
人生の転機には、必ず自分を助けてくれる人がいた。
苦しいときに手を差し伸べてくれた人。
自分を信じてくれた人。
思いがけないところで道を開いてくれた人。
振り返れば、そういう人たちに支えられて、ここまで来たのだと思う。
感謝しかない。
一生懸命やっていると、人生のピンチに、なぜか助けてくれる人が現れる。
不思議なものだ。
だから、自分もこれからは、誰かが困っているときに手を差し伸べられる人間でありたいと思う。

そして来年4月、65歳になる。
年金を受け取ることができる。
それもまた、一つの大きな転機になる。
45年前、将来に絶望していた自分。
その自分が、65歳を目前にして、もう一度人生を考えている。
人生は、終わっていない。
むしろ、ここからもう一度始めてもいい。
人生のリスタート。
それは、若い頃に戻ることではない。
これまでの人生を否定することでもない。
64年間生きてきた自分だからこそ見えるものを大切にして、これからの時間を生きていくこと。
そう考えると、65歳は「終わり」ではなく、
新しい人生のスタートラインなのかもしれない。

人生を無理やり楽しむ

寿命が分かればいいのに、と思うことがある。
あと何年生きるのかが分かれば、老後の計画も立てやすい。
貯金はいくら必要なのか。
いつ仕事を辞めればいいのか。
残りの人生を、どう過ごせばいいのか。
そんなことを考えるようになった。
私は来年、65歳になる。
いよいよ「前期高齢者」と呼ばれる年齢である。
自分がそんな年齢になるなんて、若い頃には想像もしなかった。
64年間も生きてくれば、身体のあちこちにガタがくる。
毎朝、7錠の薬を飲んでいる。
幼い頃には、公害喘息の認定患者だった。
季節の変わり目になると喘息の発作が起き、息が苦しくなった。
高校生になる頃には、発作も出なくなった。
それから今日まで、なんとか生きてきた。
「よく生きてきたな」と、最近は本当に思う。
老後のために、いくら用意すればいいのだろう。
年金は、いったいいくらもらえるのだろう。
そんなことを、これまで真剣に考えたことがなかった。
働けるだけ働けばいい。
そう思って、ここまで来たからである。
けれど、最近はふと思う。
嫌なことを我慢してまで、仕事を続けることが、本当に幸せなのだろうか。
仕事を辞めれば自由になる。
朝、決まった時間に起きなくてもいい。
嫌な人に会う必要もない。
仕事のことで悩むこともなくなる。
それは、とても魅力的に思える。
ところが、先に退職した仕事仲間の話を聞いていると、そう簡単でもないらしい。
退職してしばらくは、旅行に行ったり、ゴルフをしたり、美味しい店を探したりして、それなりに楽しく過ごしている。
ところが、数か月もすると飽きてしまう。
そして、また仕事を始める。
そんな話を、何度も聞いてきた。
結局、人間は「自由」だけでは生きていけないのかもしれない。
仕事には、面倒なことも多い。
嫌なこともある。
人間関係に疲れることもある。
それでも、仕事をしていれば、誰かと話す。
誰かに必要とされる。
社会とつながっている。
それがなくなったとき、自分はいったい何をすればいいのだろう。
ひとつだけ、私には分かっていることがある。
私のように、仕事ばかりしてきた人間は、仕事を失ったときに孤独になりやすい。
孤独に耐えられるだろうか。
今さら近所のコミュニティに入っていくのも難しい。
趣味の仲間を一から作るのも、そう簡単ではない。
私はこれまで5回転職し、現在が6つ目の職場である。
今は部長という立場にいる。
けれど、会社を辞めたあとも、わざわざ会いたいと思う同僚がいるかと聞かれれば、正直に言って、ほとんどいない。
これまでの職場でも、退職してからも交流が続いている人は、2~3人しかいない。
少し寂しい話だが、それが現実なのだと思う。
仕事をしている間は、肩書や立場、仕事上の利害でつながっている。
しかし、その仕事がなくなれば、その関係も少しずつ消えていく。
利害でつながっている人間関係なんて、利害がなくなれば、あっけなく消えてしまう。
そう考えると、長い会社員人生はいったい何だったのだろうと思うこともある。
そして、3日前の月曜日から、お盆休みに入った。
仕事から解放されたはずなのに、気がつけば家の大掃除と庭の草取りで休みが終わってしまった。
これが、65歳を目前にした男の休日かと思うと、少し笑ってしまう。
でも、笑っている場合でもない。
何かを始めなければならない。
そう思って、久しぶりに一眼レフカメラを取り出した。
カメラを手にするのは、本当に久しぶりだった。
昨年、ミラーレス一眼の入門機を中古で購入した。
以前から持っていたキヤノンのEFレンズが何本かあるので、アダプターを付ければ使うことができる。
入門機では少し物足りなくなってしまい、ついにAmazonで新品の中級機まで買ってしまった。
動画も撮影できる。
我ながら、何をやっているのだろうと思う。
65歳を目前にして、新しいカメラを買う。
でも、それでいいのだと思う。
人生は、いつ終わるのか分からない。
だからこそ、残りの人生をどうするかを考えすぎても仕方がない。
旅行に行きたいなら行けばいい。
美味しいものを食べたいなら食べればいい。
写真を撮りたいなら撮ればいい。
大きな目標なんて、なくてもいい。
「老後を楽しもう」などと立派なことを考える必要もない。
朝起きて、今日は何をしようかと考える。
そして、少しでも面白そうなことがあればやってみる。
つまらなければ、また別のことを探せばいい。
64歳。
人生の終盤に差しかかっていることは、もう認めなければならない。
身体も若い頃のようには動かない。
友人も少なくなった。
仕事を辞めれば、人とのつながりもさらに減っていくだろう。
正直、不安である。
寂しくもある。
それでも、残りの人生を「何もすることがない」と嘆いて過ごすのは、もっと寂しい。
だから私は、少し無理をしてでも楽しもうと思う。
写真を撮る。
知らない場所へ行く。
美味しいものを食べる。
そして、くだらないことで笑う。
「人生を楽しむ」というより、むしろ「人生を無理やり楽しむ」。
64歳の私は、そんなふうにして、これからの人生を生きてみようと思っている。

人生には順番がある

元上司の訃報を知らせる葉書が自宅に届いた。
差出人は奥様だった。ご主人は2か月前に亡くなられ、享年79歳だったという。死因は書かれていなかった。
仕事から帰宅し、ポストから取り出した葉書を玄関の薄明かりの中で読んだ瞬間、私は体が固まった。
その方は、私が40歳頃に大変お世話になった上司である。
大手自動車メーカーで広報次長を務めた後、55歳で早期退職し、まったく異なる業界へ転職してきた。私より15歳年上だった。
当時の私の職場には、大企業から転職してきた管理職が何人もいた。

その中でも彼の能力は群を抜いていた。

仕事の進め方は論理的で、判断は的確。

しかもハンサムで身なりも洗練されており、「一流企業で鍛えられた人は違う」と感心したことを今でも覚えている。
定年まで数年間を無難に過ごそうとする管理職も少なくなかったが、彼は違った。
「60歳までの5年間で結果を出す」
そんな覚悟が伝わってきた。

その姿勢に応えたい一心で、私も必死に働いた。
彼と一緒に仕事をしたのは5年間だった。

広報部門でマーケティングの考え方や実践を数多く教えてもらった。

その経験は私の財産であり、64歳になった今でも第一線で働き続けられているのは、その教えがあるからだと思っている。
転職を考えたときも真っ先に相談した。

最後に背中を押してくれたのも彼だった。
定年後、彼は八ヶ岳の麓に別荘を建て、自然に囲まれた暮らしを始めた。

私は二度ほど泊まりで訪ねたことがある。
「また会いに行こう。」
そう思っていた矢先に届いた訃報だった。
この頃、お世話になった先輩方の訃報に接することが増えてきた。
それは同時に、自分自身も人生の終盤へと歩みを進めていることを実感する出来事でもある。
だからこそ、会いたい人には会い、感謝を伝えたい人には、元気なうちに「ありがとう」を伝えておきたい。
人生には順番がある。
先輩たちが旅立ち、その後を私たちが歩いていく。

その順番は変えられない。
だからこそ、「いつか」ではなく「今」のうちに、大切な人との時間を大事にしたい。
そうしなければ、きっと人生に後悔を残してしまうような気がする。