糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

会いたい人には、会えるときには、会っておく

8年ぶりに3つ上の62歳の先輩と会いました。

40年前に横浜で新聞奨学生をやっていたときに、同じ新聞販売店で働いていた先輩です。

最後に会ったのは、その新聞販売店の奥さんが亡くなった8年前の通夜の席です。

先輩は高校卒業と同時に茨城から上京して、新聞販売店で働いていました。

学生ではなく、専業として働いていました。

とても優しい人で、後輩の仕事の面倒をよく見ていました。

先輩は職を転々として、今では有名企業の役員のお抱え運転手として働いています。

来年度63歳で定年だそうです。

それ以降も65歳までは働くことはできるそうです。

なぜか気が合う方で、年に1度は連絡を取り合って会っていました。

先輩は32歳で見合い結婚をしました。

私は先輩の結婚式の司会を頼まれました。

30年も前の話です。

今日は、東京駅の八重洲地下街で飲みました。

先輩が言った言葉が心に刺さりました。

「あのとき、将来がまったく見えなかったなぁ~」

先輩も私も故郷を離れて、先が見えない中で生きていました。

私は、実家を飛び出して、新聞配達をしながら、予備校に通っていました。

そのうちに予備校にも行かなくなり、当時のインベーダーゲームや麻雀ゲームに明け暮れていました。

新聞販売店の所長も含めて夜は麻雀をして、そのまま新聞配達をし、昼は寝ている毎日でした。

大学には受かるはずもありません。

そこで3年目に思い切って、実家に帰り、塾の講師のアルバイトをしながら宅浪をして、大学に合格しました。

あのときの将来が見えない悶々とした生活を思い出しました。

本当に地獄でした。

目標を持って努力を続けることは、本当に幸せなことだと思います。

それは希望が見えているからです。

そう考えると、今の自分が目標を持って努力を続けていないことに気付きました。

先輩と話をしていなかったら、それに気付きませんでした。

先輩と会えたことで、元気をもらうことができました。

役職定年を1年後に待つだけの自分では、人生の消化試合をこなしているだけです。

それ以降の定年退職までの5年間が、廃人のような生活になると思います。

次の新しい目標を見つけることを決心しました。

目標を達成することも大事です。

しかし、その目標に向かって努力を続けていることが幸せなのです。

先輩に感謝です。