糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

心に刺さった言葉

昨日は、久しぶりに故郷の静岡に出張しました。

午前中に仕事が終わったので、午後に叔母と従姉妹に会いました。

最寄りの駅まで車で迎えに来てもらいました。

従姉妹は私の1つ下の還暦です。

最後に会ったのは叔父の葬儀のときですから13年前です。

待ち合わせの時間になっても、従姉妹を見つけることができません。

お互いの顔を忘れてしまうくらい月日が経過していました。

メールをしました。

すると、「お兄ちゃん!」と声をかけてくれました。

記憶にある従姉妹の面影はありませんでした。

迎えの車に行くと85歳の叔母が座っていました。

時間に余裕があったので近くの博物館に行きました。

その後、大きな喫茶店に入り2時間くらい話をしました。

自分の現状を説明しました。

初めて他の人に自分の状況を話しました。

「〇〇(私のこと)は本当に偉かったね。頑張ったね。」

と言われました。

私の実家は家族仲が悪かったです。

母親が家族に愛情をまったく注ぐことがありませんでした。

両親の会話もまったくありませんでした。

私は高校卒業と同時に家を出ました。

両親から浪人はさせない、国立大学しか行かせないと言われていたので、家を出るしかありませんでした。

2年間新聞奨学生をして浪人をし、1年間塾の講師をしながら、国立大学に合格しました。

両親が共働きだったので世帯収入が多く、当時は奨学金も借りられず、学生寮にも入ることができませんでした。

大学時代は月5万円の仕送りで、あとはアルバイトで生計を立てました。

そんな私を見かねて、叔父と叔母は私を自分の子どもとして養おうと考えていたそうです。

大学卒業後も紆余曲折ありました。

実家に帰ったのは1回だけです。

結婚をするときだけです。

それでも何とか61歳まで生きてこられました。

帰りの新幹線の中で、叔母の言葉の「本当に偉かったね。頑張ったね。」の言葉を噛みしめて、今までのことが走馬灯のように思い出されて、涙が出てきました。

しばらく優しい言葉をかけてもらったことがありませんでした。

この「本当に偉かったね。頑張ったね。」の言葉は私の心に刺さりました。

自分は1人ではない。

心の故郷があることを実感しました。