糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

退職準備①

退職まであと2週間になりました。

3月末に還暦の役職定年を迎えて、4月から新しい部署に異動になりました。

新しい部署と言っても、社員2人だけの内部監査室です。

上司も部下もいません。

どの部署にも属していません。

内部監査室ですから。

管理職が役職定年を迎えて、余生を過ごすとても良い部署です。

我が社は、65歳の定年まで本俸が下がりません。

役職手当だけが無くなります。

だから大台の年収は確保できる訳です。

監査の仕事は楽です。

監査をして改善する指導をすれば良いのですから。

2週間程度仕事をして悟りました。

60歳の役職定年から65歳の定年退職までの5年間を

のんびり過ごすためには最高の部署です。

しかし、これまで最前線で仕事をしていた私にとっては、疑問に思うことが数多くあります。

私は、故郷の静岡を飛び出して、縁もない土地で人生を切り開いてきました。

とにかく必死で仕事をしてきたことは事実です。

必死で仕事をして家庭生活を疎かにしたので、家族が離散してしまいました。

妻とも会話が無くなり、8年前に妻が家を出ました。

家庭裁判所で離婚調停をしたのですが、私が養育費を送り別居を続けることになりました。

妻が出ていったときには、家には発達障害のある大学4年生の長男と、中1から引きこもりの19歳の次男がいました。

私が2人の息子の面倒を見ることになりました。

長男は就職できて家を出ていきました。

それからは、引きこもりの次男と2人の生活になりました。

次男を自立させるために必死でした。

いろいろな自立支援の施設に通いました。

あれから8年が経過しました。

次男は、いろいろな施設の方に助けられて、中卒ながら日商簿記2級などの資格をいくつか取得し、現在は総合病院の事務の仕事に就いています。

本当に辛い8年間でした。

自分が壊れそうなときもありました。

妻が家を出ていった直後は、涙が止まらなくなりました。

仕事が連休になったときには布団から起き上がれないくらい精神的に病んだこともありました。

そんなときには、You Tubeで元気が出る動画を探して観ていました。

役職定年を迎えて、会社で築きあげてきたものが無くなったときには、虚無感に囚われました。

あと5年間をサラリーマン人生の消化試合にして良いものかと悩みました。

転職サイトに職務経歴を登録したら6社ほどから応募しませんかのお誘いがありました。

これまで交流してきた他社の信頼できる社員に話をしたら、その会社からオファーをもらえました。

結局、その会社に転職することにしました。

「人生は自分で切り開く」ことが私のモットーです。

今まで4回転職して5つ目の会社になります。

一生懸命やっていれば、誰かが必ず見てくれていて、ピンチのときには助けてくれます。

自分が60年間の人生で得た教訓は、

「周りの人に感謝をして、一生懸命やっていれば人生は開ける」

です。

周りの人に「ありがとう」と言っていると、必ず「ありがとう」と言いたくなるようなことが起こります。

あと2週間で現在の会社を去ります。

嬉しいことに毎日送別会を開いてくれます。

最後は、お世話になった人に感謝を伝えたいと思います。