糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

還暦の転職活動⑧

コネで応募した会社の社長と副社長の面接を受けました。

年収の提示もありました。

現在勤務している会社の年収よりも下がりますが妥協できる範囲でした。

たまたま前職の会社の部下も勤務しており、私のことを事情聴取していたようです。

元部下は私のことを高く批評したようです。

転職の意思を聞かれました。

役員会に議題として出すので、もう一度役員たちと面接をしてくれと言われました。

おそらく今月末には内定が出そうです。

内定通知書をもらうまでは気が抜けません。

しかし、還暦で転職ができるというのは良かったと思います。

人生で4回目の転職となります。

一生懸命生きていれば、かならず見てくれている人がいます。

つき・ひき・あきと言われますが、

つき→今回はついていたと思います。たまたまその会社の部長が私と知り合いであった。また、前職の元部下がその会社の課長であった。

ひき→その会社の部長が私を社長や副社長に話して引っ張ってくれたということが大きいと思います。

あき→その会社に必要なポストがあったことです。そのポストに私のキャリアがマッチしていたことです。

一番大事なことは、私を引っ張ってくれたその会社の部長と元部下に感謝です。

私から懇願してその会社に行くということではなく、その会社が呼んだことにして私の提示された年収を引き上げてくれたことです。

還暦を迎えて、人生をより良く生きるために必要なことが理解できました。

「一生懸命生きること」と「感謝の気持ちを持つこと」です。

私の人生は紆余曲折でした。辛いことが多いです。しかし、腐らずに一生懸命生きることだけは続けてきました。一生懸命生きていればかならず誰かが見てくれています。ピンチのときには必ず誰かが助けてくれました。これからも一生懸命生きることは貫きたいです。

私の人生は53歳までは身勝手で自己中心な生き方をしてきました。仕事のために周りの人を犠牲にしてきました。そのために、妻は家を出ていき、家族が離散してしまいました。妻が家を出た2ヶ月後の53歳のときに軽い脳梗塞になり入院しました。退院してからは、発達障害の大学4年生の長男と引きこもりの19歳の次男との生活は悲惨でした。長男は就職して家を出ていきました。引きこもりの次男を何とかしようといろいろな施設に行き相談しました。あれから7年が経過して、中卒(中1の夏休みまでしか学校に通っていない)の次男はいろいろな資格を取得し、現在は総合病院の経理事務をしています。53歳からはいろいろな人のお世話になり、人のありがたみが分かるようになりました。心から人に感謝することができるようになりました。それから私の人生は変わりました。

故郷を飛び出し、実家との関係を絶ち、自分一人で人生を切り開いてきました。その気負いが自分の性格を歪めていたように思えます。53歳で人生で一番の苦境に陥り、人に助けを求めることができるようになりました。感謝をするようになってから人生は開けたような気がします。感謝をするようになってからは、プライベートな時間を削ってまでも人の人生が良くなる手伝いをしています。人の喜びが自分の喜びであることが分かりました。人に感謝をすることが、人から感謝されることになり、自分の人生が開けることも分かりました。

今回の転職は、本当に周りの人から助けられて成功しています。だからこそこれからも感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいです。