糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

働く目的が薄れていく

結婚して子どもができた頃は、

息子2人を大学まで行かせる教育費が必要だと思った。

自分も妻も公立高校と国立大学だったので教育費があまりかからなかった。

自分も妻も親からは経済的に国立大学にしか行かせられないと言われていた。

実際に妻は、大学卒業後に働いて、大学の学費を親に返した。

息子2人が私立高校と私立大学ならば教育費がかかる。

いくらかかるか分からないので、必死に働き貯金をした。

LDK アパートに住んでいたときに手狭になり、

階下の住人から子どもがうるさいと苦情が来たので、マイホームを探した。

息子の学区が変わるのは、せっかくできた友人と別れなければならないので、

同じ学区内で一戸建てを探した。

先のことを考えないで決めてしまった。

マイホームを購入するときに10年間だけローンを組んだ。

その頃の、働く目的は金を稼ぐことだった。

管理職になって残業手当が出なくなっても必死で働いた。

今思うと、成果を出すことよりも、会社に長くいることが、会社へ貢献しているように思えた。

実際に、上司の評価もそうであった。

妻は専業主婦であったので、私一人の稼ぎが生活する頼みの綱であった。

帰宅するのはいつも23時過ぎであった。

家には、食事をすることと、風呂に入ることと、寝るために帰っていた。

長男が大学を卒業し、就職したと同時に、妻は家を出ていった。

何年も前から計画をしていたらしい。

出ていくときにそう言われた。

長男もその半年後に家を出ていった。

家庭裁判所で調停した結果、離婚はせずに別居して、毎月10万円を妻に送金することになった。

発達障害の長男と、引きこもりの次男の面倒を私が見ていた。

今は、ローンもなく、次男と私の生活費を稼ぐためと、妻に毎月10万円を送るために働いている。

贅沢な暮らしはしていない。

週に一度は、次男とチェーン店で外食をする。

次男は、引きこもりであったが、就職するには障害者手帳を持っていたほうが良いとのアドバイスを受けて、障害者手帳を取得した。

次男は、障害者雇用で、週4日のパートとして総合病院の事務に従事している。

今月から社会保険も病院で入ることになった。

家事は次男と私で分担している。

夕食を作ることと、ゴミ捨ては次男が、

それ以外は私が担当している。

だから日曜日は私が一人で大掃除をしている。

次男には、食費として週に1万円を現金で渡している。

金を稼ぐ大切さを知ってもらいたいからである。

渡すたびに「大切なお金だから考えて使ってくれ」と言っている。

次男が作る夕食はおかずが1品か2品だけである。

少ないとは思うが料理をしない私は文句は言えない。

それくらいの金額で十分に足りるとのこと。

もう必死で働く必要がないが、それでも今までの生き方を否定できないために、必死で働く自分がいる。

最近は、働く意欲が薄れている。

これ以上頑張っても出世することもない。

給料が増えることもない。

朝、布団から出ることもおっくうになりつつある。

今までの惰性で生きている。

役職定年まであと1年。

定年退職まであと6年。

どうやって生きる気力を維持したら良いのか自分でも分からない。