糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

私は往生際が悪いのかもしれない

あと1年で60歳の役職定年となった。

役職が無くなるとヒラ社員となる。

人事権も決裁権も何も無くなる。

会議にも出ることは無くなる。

前職も含めて、管理職になってからは20年以上経つ。

だから今さら単純作業はできない。

7年前に脳梗塞で入院してリハビリをしているときに、

自分よりずっと年上の方に言われた言葉が頭にこびりついている。

「部下は役職に従っているだけで、上司の人間性に従っているのではない」

「役職が無くなれば、誰も言うことは聞かない」

幸いなことに、役職定年しても、嘱託になる訳ではない。

役職手当が無くなるだけで、基本給は変わらない。

年収が1割減少するくらいで済みそうである。

役職が無いのを我慢すれば良いのだが・・・。

役職定年から定年退職までの5年間は、サラリーマン人生の消化試合となる。

割り切れば良いのだが・・・。

不完全燃焼でサラリーマン人生を終わらせることが悔しい。

仕事の成果を出す自信がある。

妻と別居状態が6年間半続いている。

恐らく元に戻ることは無い。

家庭裁判所の調停で別居となった。

そのときには、発達障害を抱えた長男と、引きこもりの次男の面倒は私が見ていた。

私が不貞をした訳でもなく、暴力を振るった訳でもない。

私と合わないから妻が家を出ていった。

長男は大学を卒業して就職し、家を出ていった。

次男は引きこもりを脱し、障害者雇用で総合病院の事務のパートをしている。

次男が経済的に精神的に自立できたら私は1人になる。

家庭円満であれば仕事に未練は無かったのかもしれない。

孫の面倒を見ながら余生を送るのかもしれない。

しかし、私に残されたのは仕事しかない。

だから、これまで築いてきた役職が無くなるのは、自分が否定された気がする。

定年退職まで役職があれば良かったのだがそうはいかない。

自分の市場価値があれば、転職することもできる。

還暦の転職が容易でないのは分かっている。

しかし、挑戦することは大切だと思う。

残された半年でいろいろ挑戦してみようと思う。

それが駄目ならば、定年までの消化試合を受け入れるしかない。