糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

42年ぶりに高校の同級生に連絡してみた

私が参加しなかった故郷の還暦の同窓会で、参加した同級生にW君のことを聞いた。

W君が私と同業他社で働いているとのことであった。

その会社で働いている友人に聞いたら、確かにW君が経理部長として働いているとのことであった。

彼とは高校を卒業してから一度も会っていない。

彼も故郷を離れて、遠く千葉に自宅があるとのことであった。

SNSで探したら彼が見つかったので友達申請したら承認された。

メッセンジャーでコメントを送ったが、見ていないようである。

そこで、同業他社で働いている友人に頼んで、私のことを伝えてもらうことにした。

友人に聞いたら、その会社の定年は60歳とのことであった。

まだ在籍しているようであるが、定年退職したら会うことはできないので、明日彼に伝えてもらうことにした。

参加しなかった故郷の同窓会の情報で、何人かの同級生とSNSで繋がることができた。

私と同じように故郷を遠く離れて人生を送った同級生も多い。

そんな同級生とは話が合うかもしれない。

われわれ還暦で定年を迎えている人も多い。

会える人に会えるうちに会っておきたい。

同級生で鬼籍に入った人が何人かいる。

後期高齢者になった先輩たちには会えないが、アラ還の世代ならばまだ会える。

私は今のところ老後に故郷に帰るつもりはない。

むしろ、故郷に帰れない。

しかし、還暦を過ぎてから故郷がとても懐かしく思うようになった。

Instagramに故郷から見える富士山を毎日撮影して掲載している人がいる。

その写真を見て、毎日昔のことを思い出している。

この歳になると故郷が無性に懐かしくなることがある。

死期が近づいているのであろうか?

私はまだまだ人生を全速力で走りたい。

体が元気なうちは、「一生懸命やれば必ず道は開ける」と信じている。

毎日嫌なことが多い。

しかし、前を向いて生きている。

故郷を飛び出し、一生懸命生きてきた。

一生懸命が自分の生きる軸だから。