糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

送別会は続く・・・(その3)

勤続42年、64歳の女性の送別会でした。

まん延防止が出ているので、2人で近所のステーキ屋さんでランチをしました。

彼女は長野から大学進学と同時に上京して、卒業と同時に就職し、勤続42年です。

結婚して、子育てもし、仕事も両立させたキャリアウーマンです。

サバサバした男性のような性格で、最後の最後まで軽快な口調で話していました。

一見大雑把な性格のようですが、お土産に手紙を忍ばせたり、本日もランチの後で、グループウエアで、お礼の文章を送ってくれる、気遣いができる方です。

もう1年頑張って、定年まで勤め上げれば良いのにと話しました。

故郷の長野に母親が一人暮らしをしているそうです。

母親が日常生活で困るようになり、「残りの1年間」と「母親の介護」を天秤にかけて、母親の介護を取ったそうです。

最近は、女性が親の介護を理由に、定年前に辞めることが多くなっています。

女性のほうが男性よりも介護の意識は強いです。

父親が先に亡くなり、母親が1人残され、それを介護をして、最期を看取る。

そんな生き方を選ぶ女性は多いです。

それにしても勤続42年は長いです。

3回転職している私は、現在の職場が一番長く、勤続14年です。

彼女に聞くと、42年間はアッという間だったそうです。

本当は紆余曲折あったのだと思いますが、良い思い出だけが残って、アッという間と感じさせるのだと思いました。

サラリーマン人生の最後の言葉というのは重みがあります。

彼女の42年間を語るには、ランチの1時間は短過ぎます。

サバサバした性格の彼女が、5年歳下の私を励まそうと、言葉を選んで話していました。

本当に感謝しかありません。

人は最後に、本当の人柄が出ると痛感しました。

言葉というのは恐ろしいものです。

人を元気にさせることもできますし、奈落の底に突き落とすこともできます。

私は人を元気にする言葉を選んで話をしていきたいと思います。

明日も送別会です。