糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

必要とされる喜び(その2)

一昨日、全国的な大きな協会から連絡があり、委員をやって欲しいとの依頼があった。

ある委員が退任されるにあたり、私を指名をしたということであった。

実は、連絡があった協会の事務の女性は、私がその協会に転職するときに支援をした方であった。

本当に偶然は重なるものである。

実は、私は若いときから、その協会の委員を何回か務めたことがあった。

委員というのは、会社の役職があったほうが格好はつく。

しかし、私は来年度いっぱいで役職定年となってしまう。

私は役職定年まであと1年。定年退職まであと6年。

サラリーマン人生の消化試合に入ろうかと思った矢先に依頼があった。

退任される委員とは、以前コンビを組んで、一生懸命に協会の仕事をしていた。

原因と結果の法則を思い出した。

原因を発するから結果が出る。

良い原因を発すれば良い結果が出る(善因善果)。

悪い原因を発すれば悪い結果が出る(悪因悪果)。

原因と結果を結ぶのは縁である(因果関係)。

良い縁を運んでくるのは人である。

一生懸命仕事をしていたのは、良い原因を発していたのだろう。

そして良い縁を運んで来たのは、退任した委員である。

損得無しで転職の支援をしていたので、事務の女性が良い縁を運んでくれた。

当然、報酬など無い。

あっても受け取らない。

このご時世だからオンラインで会議も研修もやるそうである。

とにかく社会に必要とされていることが嬉しかった。

こんな取り柄のない私でも、いざというときに思い出してくれたのが嬉しかった。

私も捨てたものではないことが分かった。

家族も離散し、自己肯定感が下がってしまった自分に、仕事で最後のチャンスが来たような気がした。

その委員を受けることにした。

社会のためになるのならば、サラリーマン人生の最後を賭けても良い。

59歳。来月4月に還暦を迎える。

死ぬときに、少しでも人生頑張ったと思いたい。

社会のために貢献したと思いたい。

私は死ぬときには後悔することは分かっている。

しかし、その後悔を少しでも減らして死にたい。