糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

33年前の上司の現在

SNSとは不思議なもので、共通な情報があれば、友達からもしれないというメッセージが出てくる。

Facebookで33年前の上司が友達かもしれないと出てきた。

写真でピンとくるものがあった。

新卒で勤めた会社の上司であった。

あの頃、私は住宅会社に勤めていた。

従業員60人くらいの会社だった。

支店や営業所が6つある中小企業であった。

親戚が社長をやっていた。

休みは週に1日、木曜日だけ。

朝は8時30分に出社し、夜は22時過ぎまで会社で働いていた。

同期で入社したのが、私も含めて4名。

同期全員が会社の寮に住んでいた。

寮といっても、会社が建てた3LDKのアパートにルームシェアをしていた。

所属していた支店は、営業が7人、設計が1人、現場監督が2人、事務が1人であった。

支店長はいなく、30歳の支店長代理がトップであった。

そのときの30歳の支店長代理の写真が出てきたのである。

来る日も来る日も、昼間は飛び込みセールス。

会えるのは5軒に1軒くらい。

会えない家のポストに、自分の名刺と会社のチラシを入れていた。

ゼンリンの住宅地図でチェックをして、夕方からは電話帳で会えない家の電話番号を調べて、電話をしていた。

日報を書いたり、契約見込み客の見取り図を書いたりしているうちに22時は過ぎる。

寮には寝に帰るだけの毎日。

支店長代理は怖い人であった。

小太りの髪型はオールバック。

年齢の割には老けていた。

四六時中タバコを吸っていた。

それでも木曜日の休みの前には、いつも支店長が飲みに誘ってくれた。

22時過ぎで疲れているのに、まずはボーリング。

支店長代理が得意だったからである。

その後に、飲みに行く。

寮に帰るのは3時くらいであった。

同期が彼女を寮に連れてくるときには、気を使って寮には帰らなかった。

そんなときには支店長代理が自宅に泊めてくれた。

当時は、支店長代理は新婚で1歳の娘さんがいた。

私は約2年でその会社を辞めてしまった。

それきり支店長代理には会っていなかった。

33年も経過して、63歳になった支店長代理のFacebookの記事を見ると、彼はその会社の社員のままであった。

勤めていた支店の顧問になっていた。

家族写真もあった。

私が泊まっていた頃の、1歳の娘さんは30歳になっていた。

次女と長男の写真もあった。

孫が5人いるらしい。

家族5人の仲睦まじい写真があった。

それを見ていると、ホッとした気持ちが半分と、羨ましい気持ちが半分湧き出てきた。

人生に「もしも~」は無いが、あのとき転職しないで会社に残っていたらどうなっていただろうか?

自分も仲睦まじい家族になっていたかもしれない。

今の自分の現実は、家族が離散している。

彼の幸せそうな人生と私の人生は真反対である。

自分の人生と他人の人生を比較してはいけないことはわかっている。

支店長代理のFacebookの記事を読むうちに、30年間の年月を飛び越えて、住宅営業をしていた頃の自分の毎日が走馬灯のように頭の中を巡っている。

あのときの1日60軒の飛び込みセールスの経験があるから、人と会うことに物怖じしなくなった。

それは今でも大きな財産になっている。

本格的な営業を始めて1年間で建てた家は3件。

飛び込みでもお客様は見つかるものである。

グーグルマップのストリートビューで自分が建てた家を探してみた。

すでに築30年になるが家はあった。

家が完成したときのお客様の顔はいまだに覚えている。

今でも幸せに暮らしていて欲しいとストリートビューの映像を見ながら願った。