61歳にもなると自分の人生に意味づけをするようになります。
身近な人の死を知ると、自分の死を認識するようになります。
小学校のときに徒競走(かけっこ)の順番を待っていたときと同じ感覚です。
ずっと先の人たちがスタートしていたときは、自分の順番はまだまだ後だと思っていました。
しかし、スタートする順番が目の前に迫ってきました。
次は自分の番だと思うようになりました。
死は他人事ではありません。
そうなると、「自分の人生はどうだったか?」と思うようになります。
要するに、「自分の人生は良かった」と思いたいのだと思います。
死ぬ瞬間は、自分の人生が走馬灯のように浮かんでくると言います。
5年ほど前から終活を始めています。
自分にゆかりのある地を訪れて写真を撮影しています。
もう8割方は終わりました。
これは走馬灯を実践しているのだと思います。
私の人生は、楽しい思い出よりも苦しい思い出のほうが多いです。
今から考えると、苦しい経験があったからこそ自分が人間として成長できたような気がします。
私の人生は、無計画で行き当たりばったりでした。
無計画で行動して、失敗して、そこから立ち上がる。
そんな人生でした。
失敗したときの絶望感。
そこから再び立ち上がるまでの苦しい経験。
幸せって長くは続きません。
山から谷へ真っ逆さまなんてことが多かったです。
子どもの頃に考えていた人生とはまったく違う人生を歩みました。
しかし、今考えると順風満帆な人生って、良かったと思えるのでしょうか?
自ら考え、自ら行動した経験は、成功しても、失敗しても、その人を成長させると思います。
何もしなければ、何も起こらない。
成功も失敗もない。
人間は成長しない。
私のように無計画で行き当たりばったりの人生でも、行動したから結果が出たと思います。
その結果から何を学ぶかが大事だと思います。
机上の学習から学ぶ知識より、実践から学ぶスキルのほうが世間の荒波を乗り越える力になっています。
実践するには、まず行動です。
若者に伝えたいことは、将来のリスクを考えて行動しないよりは、何も考えないで行動したほうが、結果はどうであれ、人間が成長すると思います。
むしろ若いうちに、大きな挑戦をして、失敗したほうが、年齢を重ねたときの生きる力になります。
一番大切なことは、自分の能力を少し超えた壁に挑戦することです。