昨日は、恩師に会っていろいろと考えることがあった。
74歳の先生は、学生運動で東京大学の受験がなかった学年である。
それで東京工業大学に進学した。
大学ではサークルで音楽に没頭したということだった。
大学を中退して、何をやっていたかは聞いてはいないが、
会社に勤めたことはないらしい。
塾では先生はとても面白い教え方をしていた。
数学では公式を教えてくれない。
公式は自分で導き出すものだと言っていた。
公式は楽をして答えを導き出す手段である。
どうして楽をするのかが分かれば、それがいろいろな問題に応用できた。
それはとても的を得た教え方であった。
先生は会社勤めをしていないから、必要以上に人に気を遣うことはなかった。
今でいう忖度もない。
言うべきことははっきり言う。
昨日話をしているときに、先生が私にボソッと言った。
「仕事は体が動く限り続けたほうがいい」
先生は、鳥の調査の仕事をしているが最近は依頼が激減しているそうである。
この4カ月で実労10日間であったという。
会社で勤めたことがないので、国民年金だけではギリギリの生活になる。
先生が老人性の鬱病になったというのは仕事が無くなったからではないだろうか。
私は先生に問うてみた。
「生きる原動力って人から必要とされることですよね?」
「それは確かだな」
仕事があるっていうことは、自分が社会から必要とされている証だと思う。
ということは、自分は社会に生かされていることになる。
私は還暦を過ぎて痛感していることがある。
それは周りの人に感謝をして、一生懸命働いていれば、運がついてくる。
それは損得勘定ではなく、効率が悪くても、人が喜ぶことをすれば、運がついてくる。
それが生きる原動力ならば、体が続く限り、人が喜ぶ仕事を続けたい。