糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

ふと思い出すことがある

高校卒業後、静岡の実家を飛び出しました。
家族関係が悪く、どうしても家を出たかったからです。
親には国立大学にしか進学させられないと言われ、国立大学に合格できませんでした。
当時、高校の同級生が新聞奨学生のパンフレットを持っていたので、私はそれに飛びつきました。
応募したら合格し、横浜で新聞奨学生をしながら、予備校に通うことになりました。
親に相談もせず、机と布団をまとめて家を出ました。
それは1981年の3月のことでした。
当時、横浜の関内にあった横浜YMCA予備校に通いました。
横浜スタジアムの隣にありました。
田舎者の私にとって、横浜は刺激的でした。
同じ予備校には、後に有名になった漫画家の中尊寺ゆっこもいました。
私と彼女は同級生でした。
彼女は文系P1クラス、私は理系S1クラスでした。
新聞配達をしながらの勉強は非常に辛かったです。
朝刊を配達した後、新聞販売店で朝食を食べ、自分の部屋に帰ると眠気が襲ってきました。
予備校に通うことが遠ざかってしまいました。
それからは、人生の階段を転げ落ちていきました。
その頃の楽しみは、新聞販売店の奥さんが作ってくれる食事でした。
その中でも、肉団子が入った中華スープが楽しみでした。
その味は今でも忘れることができません。
その新聞販売店の奥さんは10年前に癌で亡くなってしまいました。
二度と食べることができない中華スープになってしまいました。


還暦を過ぎると、人生の瞬間瞬間での良い記憶が蘇ってきます。
そんな記憶を振り返りながら、これからも良い記憶を作りたいと思います。

前向きに生きていきたいと思います。