糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

39年前の原点に戻ってみた(その2)

昨日、横浜を車で走っているときに、思い出の場所を見つけた。

それは、39年前にいつも通っていた銭湯である。

当時から古い木造の銭湯であった。

ググってみたら、戦前から続いている銭湯らしい。

未だに薪を使っているとのこと。

新聞配達をやっていても毎日お風呂に入れるわけではない。

銭湯代が生活費を圧迫してしまう。

2~3日に一度くらいの頻度で通っていたと思う。

新聞配達をやって汗をかくときには、真冬でも流しの水道で髪の毛を洗っていた。

お風呂に入ることは癒やしであった。

特に寒い冬には、この上ない喜びであった。

体の芯まで温まって、風呂上がりに飲むジュースは格別であった。

銭湯の番台には、店主のオジサンかオバサンがいた。

その当時で、50歳代の夫婦であったと思う。

当時、人見知りな私は、番台のオジサンとオバサンに話しかけることはできなかった。

一緒の新聞販売店の同じ歳の新聞奨学生と一緒に銭湯に通った。

同じ歳で、同じ浪人。お互いに田舎の出身で気が合った。

彼は1年浪人して、明治大学の2部(夜間)に合格して、明治大学近くの新聞販売店に移った。

大学在学中に勤務状態の良さを認められて、学生ながら新聞販売店の店長になった。

大学卒業後も新聞販売店の店長をしながら、教員採用試験の勉強を続けていた。

大学卒業後、2年後に宮城県の小学校の教員として採用されて、宮城県に引っ越して行った。

今でも年賀状のやり取りはある。

彼とは、仙台での彼の結婚式で会ったのが最後である。

もうかれこれ30年近く前になる。

銭湯の前に車を停めてみた。

銭湯が開く時間まで、あと1時間ほどある。

銭湯の入り口は閉まっていた。

銭湯の前に立っていると、39年前の思い出が蘇ってきた。

銭湯の中の脱衣場の様子、大きな浴槽の様子、洗い場の様子、壁の富士山の絵・・・。

もう一度、この銭湯に入りたい。

近い将来にまた来よう。

風呂に入る準備をして来よう。

そう強く誓った。