糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

これからの人生でやるべきこと

同居している唯一の家族の26歳の次男から告白された。
「自分は人の認識を視覚でできない」
声で認識しているそうである。
目が悪い訳ではない。
脳の機能の問題だと思う。
私は、父親として26年間彼を観ていて気付かなかった。
29歳の長男は、小学生のときに高機能自閉だと診断された。
長男は知的障害ではないので、通常学級に通学し、大学を卒業した。
しかし、就職活動でつまずいた。
それでも何とか就職して家を出た。
ひょっとして次男も発達障害かもしれない。
長男ばかりに目が行って次男を放任していたのだと思う。
次男は、中学1年の夏に部屋に引きこもるようになった。
次男が19歳になったときに、妻が家を出て行った。
次男が20歳のときに、長男も家を出て行った。
私と次男が家に残された。
私は途方に暮れた。
妻が家を出た2ヶ月後に、私は軽い脳梗塞で12日間入院をした。
環境が激変したストレスで病気になったのだと思う。
それでも父親として次男を自立させようと思い、次男をいろいろな施設に連れて行った。
市の保健所の相談所、県のひきこもり相談センター、就労支援のサポートステーションなど必死だった。
サポートステーションでは、障害者手帳を持っていたほうが就職しやすいということで、心療内科で診断書を書いてもらい精神障害者手帳を取得した。
妻から離婚調停を家庭裁判所に申請され、1年間の調停を経て、私が妻に10万円を払うことで別居となった。
私が不貞をしたわけでもない。酒やギャンブルに溺れたわけでもない。
次男は、22歳から就労移行施設に毎日通い、さまざまな資格を取得した。
日商簿記2級や車の免許も取得した。
次男が24歳のときにハローワークに行き、自宅の近所の総合病院の事務の障害者採用に申し込み、採用された。
私は、彼の就職活動を支援するために、履歴書を添削し、面接練習を繰り返した。
仕事が終わって帰宅し、次男の面接練習を繰り返した。
障害者採用でパートタイマーである。
週に5日間、時給で働いている。
しかし、手取りで月12万円くらいでは自活はできない。
私としては、彼には正社員になってもらいたいと願っている。
61歳の私は65歳までは、現在の会社で働ける。
あと4年間半で次男が正社員になってもらいたい。
私の身に何かあっても彼が1人で生きていけるように。
それだけが望みである。