糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

死ぬまで挑戦

昭和37年生まれで61歳の私の価値観は、根性・度胸・努力であったと思う。

一生懸命やれば必ず道は開ける

というのが生きるモットーであった。

静岡の片田舎で育った私は、中学校は男子は坊主、運動部の練習のときには水を飲んではいけないというのが常識であった。

物心ついたときには日本全体が高度成長期で、頑張れば・頑張っただけ努力が報われる環境があった。

中学校のときの先生には、軍隊上がりの先生がいて、男子に体罰は当たり前であった。

息子が殴られたからといって、学校に苦情を言う親はいなかった。

一つの会社に勤めたら定年まで勤めあげるのが常識であった。

最近の20歳代の若者を話をしていると、生きる価値観がだいぶ我々世代と違っていることに気づく。

甲子園で優勝した慶応高校の生徒を見てもお分かりであろう。

世の中の変化に合わせて価値観が変わっていくことは当然のことと思っている。

親ガチャという言葉をよく聞くようになった。

生まれた家庭環境で人生が決まってしまうというものである。

確かに、恵まれた家庭環境では、社会的成功に結び付く可能性は高い。

しかし、楽して、最短距離で成功することが良いことなのであろうか?

私は家庭環境に恵まれずに育った。

親の愛情を感じることもほとんど無かった。

その結果、私の人生は紆余曲折になってしまった。

多くの苦労を背負い込んでしまった。

挫折しても、もがき苦しんで、何度も這い上がった。

そのおかげで、いろいろな経験ができたし、知恵も備わった。

ストレス耐性もできた。

自分の人生の評価は棺桶に入るときに決まると思っている。

何もなくて幸せな人生であったと思えるのか?

いろいろあったけど幸せな人生だったと思いたい。

61歳になった今、まだまだ挑戦をしたいと思う。

挑戦すれば、必ず失敗して、苦労を背負い込むことになる。

健康寿命まであと10年ちょっと。

新しいことに挑戦する気持ちは忘れたくない。

これからまだまだ挑戦をしたい。