糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

自分が変わり者だと実感しました

久しぶりに故郷の静岡に仕事で行って、高校時代の同級生に会いました。

また、SNSで繋がっている高校時代の同級生ともやり取りをしました。

同級生ですから全員、還暦です。

友人と飲んでいるときに、「2週間前に初孫が生まれた」と言われました。

また両親の介護で、毎週土日は潰れると言っていました。

SNSでは、高校時代の同級生の女性とやり取りしています。

彼女は、小学校・中学校の一貫校の校長です。

この3月に定年退職すると言うので、それ以降のことも聞いてみました。

「恵まれた教員人生だった。全力投球できた。人との出会いに感謝しています」

「これからは孫の世話や娘の出産の手伝い、父母との会話に時間を費やします」

と書いてありました。

還暦というのは、子どもが結婚して、孫の面倒を見る年齢だと痛感しました。

また親の介護をする年齢です。

私は7年前から妻とは別居です。

実家とは何十年間も音信不通です。

長男も次男も精神障害の手帳を取得して働いています。

長男は高機能自閉症ながらも大学を卒業して働き、家を出ていきました。

次男は中学1年生の夏から引きこもりになり、19歳のときに何とか引きこもりから脱しました。

次男が引きこもりを脱するきっかけは妻が家を出ていったからです。

そこで次男と私の二人三脚が始まりました。

二人でいろいろな施設を回り、いろいろな方々のお世話になって、今は近所の総合病院でパートの事務で働いています。

働き始めて1年と2ヶ月が経ちました。

息子2人は結婚するつもりはないそうです。

となると私は孫の顔を見ることはないと思います。

親の介護もありません。

親の財産は放棄しています。

私は仕事以外の役割がないのです。

仕事を失うと、自分の存在価値も失います。

妻が家を出てからの7年間は、次男を自立させることに必死でした。

次男は、中卒で学歴がないので、自分で勉強して日商簿記2級や電卓検定などの経理の資格を取得しました。

それを活用して、ハローワークで現在の仕事を見つけました。

引きこもりだった次男が、1日も休まずに仕事を続けています。

ちょっと一安心です。

パートから正職員になれれば、自立の一歩になります。

自活できるだけの経済力をつけて欲しいと願っています。

私が死んだ後も一人で生きて行けるだけの経済力をつけて欲しいです。

私の最後の願いです。

自分の晩年がこんな寂しくなるとは想像していませんでしたが、これも自分が蒔いた種です。

この現実を受け止めて生きていきます。

次に産まれて来れたら、同じ失敗は繰り返さないようにしたいと思います。