糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

最初に勤めた会社の上司の思い出

たまに、ふと思い出す人がいます。

その1人が最初に勤めた会社の上司です。

私より5歳年上の男性です。

若いながらも上司に認められて30歳前に支店長代理となりました。

顔はゴリラにそっくりでした。

常にタバコを吸っていて、「ザ・昭和の営業マン」でした。

今から36年前の話です。

なぜ思い出すかというと、苦楽を共にしたからです。

入社2年目で、その人が、ある支店の立て直しを命じられました。

そのために、私を含む大卒の同期4人で転勤することになりました。

会社の借り上げ社宅に住み、同期4人は寝食を共にしました。

その同期4人の兄貴的な存在の支店長代理でした。

朝8時30分に出勤して、退勤は22時を過ぎていました。

毎日飛び込みセールスです。

1日60軒は訪問しました。

休みは木曜日1日だけでした。

支店長代理はストレスが溜まると、退勤後は我々をボーリングに誘いました。

ボーリングの後は飲みに行きます。

だから社宅に帰るには夜中の2時くらいでした。

本当に厳しい上司でした。

彼も数値に追われていたと思います。

怒鳴られたことも何度もあります。

しかし、いざとなると優しい一面もありました。

彼も我々と同じ苦しみを味わってきたからです。

私の同期の大卒4人はすでに全員退職しています。

1人は入社2年目で夜逃げをしました。それほど仕事が大変だったからです。

私は入社2年目で転職をしました。

そして、残りの2人も入社3年目で転職をしました。

 

ふと、WEBでその上司の名前を検索してみました。

恐らく日本で1人しかいないであろう名前でしたから、すぐにヒットしました。

未だにその会社に顧問として勤めていました。

そして、驚いたことに、その会社のホームページのブログに自分の回顧録を書いていました。

それを読んでいるうちに、当時モヤモヤしていた疑問が解けました。

当時の会社の経営状態、彼が置かれていた立場など納得がいきました。

あの厳しい労働環境で40年以上勤務していたことは驚きです。

彼の回顧録に、私が勤務していた頃の写真が掲載されていました。

当時お世話になった人が何人も写っていました。

私の頭にその方々の名前が浮かんできました。

 

彼は、子ども3人を育て上げ、今や良いお爺ちゃんになっています。

ブログに写っている顔は、昔の厳しい顔ではありません。

あまりの仕事の厳しさに彼を恨んだこともありました。

しかし、彼は私以上に厳しい環境にいたことは確かです。

今なら私は彼の立場を理解できます。

恐らく、彼は私のことを忘れていると思います。

お世話になった人がこうやって元気に生きていると思うと、心がじんわり暖かくなります。

自分も歳を取ったと思います。