糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

老後の生きる力とは

昨晩は20数年前に一緒に仕事をしたコンサルタントと市ヶ谷で飲んだ。

飲んだと言っても、私は下戸なのでソフトドリンクではあるが、雰囲気だけは酔った。

彼は私より7つ下の54歳である。

一緒に仕事をした20数年前は、彼も私も若くて30歳代であった。

彼とは5年間くらい一緒に仕事をした。

彼は誰もが知るコンサル会社に勤務をして、今ではグローバル部の部長である。

海外勤務も長かった。

彼は娘も息子も大学を卒業し、立派な社会人になって独立している。

彼はもう自分の役目は終わったと言っていた。

私は障がい者雇用で働く26歳の次男が同居している。

ある意味、次男を自立させるという親の役目は終わっていない。

それはそれで私の存在意義があるということであろうか?

老後の話になった。

お互い仕事一筋で生きてきた。

推し活もない。

仕事以外で生きる場所がないのである。

結局、組織に属していると、定年退職したら行き場所がない。

だからと言って、独立する勇気もない。

仕事が無くなったら生きる意味がなくなるのである。

実はそれが怖い。

役目を終えた人間にとって、社会から必要とされることが生きがいなのかもしれない。

お金ではない。地位でもない。名誉でもない。

目の前の人から必要とされること。

それが生きがいなのだと思う。

彼と話をしていて最終的な結論はそれである。

18時から飲み始めて、時計を見たら21時30分であった。

あっという間の3時間半であった。

彼の家は三軒茶屋

私は茨城県に住んでいる。

長距離通勤の私にとって、その時間が限界である。

再会を誓ってその場は解散した。