私は昭和37(1962)年生まれだから、来年還暦になります。
還暦をググってみると、干支が生まれた年に戻るということでした。
人生が一回りして元に戻るというjことでしょう。
自分が子どもの頃には定年退職が55歳でした。
ちょうど親父が定年退職するときには60歳になっていました。
私が子どもの頃には、定年退職をする人は、だいぶお爺ちゃん、お婆ちゃんに見えました。
現在の私もそう見えているのかもしれません。
死んだ親父は昭和6(1931)年生まれですから戦争を体験しています。
戦争を体験した世代は、栄養事情も悪く、生きるか死ぬかの苦労をしていますから、老けて見えるのかもしれません。
そう考えると、平和の時代に育った私の世代は、還暦と言えども若く見えます。
私の定年退職は65歳です。
あと6年間あります。
同居している次男が独立できるようになれば、あとは1人になります。
寂しいとは思いますが、次男を独立させることが、私ができる親としての最後の務めです。
家で分担している家事は、私が掃除で次男が炊事です。
洗濯は各自でやっています。
私はまったく炊事ができません。
やったことがないからです。
次男が独立したときのために、そろそろ料理でも習ったほうが良いのかもしれません。
1人でも生活できるにはそれしかありません。
私は故郷の墓には入るつもりがありません。
だからこそ自分の墓をどうするかも考える必要があります。
そんなことを思いながらこの記事を書いています。
今年は、無職の次男が、パートと言えども就職することができました。
次男のスーツや靴などを新調し、履歴書を添削し、面接練習を一緒にしました。
親として、できるだけの協力をしました。
お陰様で、次男の人生が一歩だけ前に進みました。
来年も順調に進むことを願うばかりです。
来年は、私が還暦です。
私の家系は早死だから、私の寿命もあと干支ひと回りくらいかもしれません。
12年間ってあっという間です。
次男が独立できたら、残りの人生は、社会に役に立つことをやりたいと思います。
振り返ってみると自分はわがままな人生を歩んでしまったと思います。
離散した家族は元に戻すことはできません。
せめて社会の役に立つことをしたいと思います。
自分のわがままで迷惑をかけたことを、少しでも帳消しにして死にたいからです。
まずは、来年の60歳の年を全力投球で過ごしたいです。
頭に浮かんだくだらないことを書いてしまいました。
読んでいただきありがとうございました。
本当に感謝です。