お盆休みに入って、ふと思い出したことがある。
それは35年も前の大学時代に家庭教師をやっていたこと。
私は大学2~4年までに、延べ8人の家庭教師をやった。
兄弟で教えたこともあるので、正確には6軒の家庭教師の経験がある。
彼らも今や50歳近くになっている。
どの家も自宅から車で1時間くらいの場所にある。
ふと行ってみたくなった。
母校である大学の近くである。
1人で車を走らせ行ってみた。
街の風景はだいぶ変わっていた。
記憶をたどって6軒中3軒は見つけることができた。
突然訪問しても失礼だと思った。
35年ぶりに訪問しても、世代交代しているし、私のことなど覚えていないと思った。
結局、外から眺めるだけとなった。
教え子の8人中2人が今でも年賀状のやり取りがある。
車を走らせながら涙が溢れ出てきた。
確かに自分の青春がここにあった。
必死に生きていた自分がここにあった。
新聞配達をして、塾の講師をして、3年間浪人して大学に入った。
やりたいことがあって大学に入ったわけではない。
親から国立大学にしか行かせないと言われて、入れる国立大学に入った。
勉強ではなくアルバイトに必死だった。
浪人中に塾の講師の経験があったので、教えることは苦ではなかった。
塾の講師も始めた。
すると、次から家庭教師を紹介されて、アルバイト先には困らなかった。
高校受験の受験生を預かり、正月も下宿に呼んで、勉強を教えた。
結局、志望校には合格しなかった。
しかし、合格しなかった教え子とは今でも年賀状のやりとりをしている。
8人の教え子の顔が頭に浮かんだ。
どんな形であっても、充実した人生を歩んでいれば良いと願った。
自分の人生と真剣に向き合って必死で生きていることが幸せだと思った。
帰りの車の中で、俺ももう少し頑張るぞと誓った。