糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

相手の苦しみを理解する

電話で相談を受けることがあります。

私の若い頃は人の話など聞ける人ではありませんでした。

自己主張が強かったのだと思います。

また、相手の気持ちを察することができなかったのだと思います。

ひょっとすると発達障害なのかもしれないと思うこともあります。

しかし、還暦を過ぎて、診断テストなど受けても、今さら生き方を変えることができないと思います。

この10年で人生の試練を乗り越えてきました。

辛いことを経験していると、人の痛みが分かるようになりました。

他人の気持ちを察することができるようになりました。

他人の話を聞くことができるようになりました。

相談を受けても、実は正解はありません。

私たちの人生には、正解などないと思います。

自分の頭で考えて、ベストだと思ったことを行動するだけです。

私は、他人から受けた相談にはアドバイスをしないことにしています。

ひたすら話を聞くだけにしています。

若い頃はそれが時間の無駄だと思っていました。

相談ごとには回答だけで返していました。

冷たい人間だと思われていたと思います。

最近は、人生相談を受けるようになりました。

悩みがある人は、必ず苦しみを抱えています。

心の苦しみです。

その悩みはどうにもならないことも多いです。

話すことでストレスを発散できます。

話すことで、自分が論理的に考えることができます。

その考える手助けをするべきだと思っています。

先週はアメリカに住む元部下の33歳の女性から相談を受けました。

今やSNSで無料で通話をすることができます。

商社マンの夫に帯同して、2人の子育てをしています。

駐在員の妻のよくある悩みです。

これも正解はありません。

自分が考えたことを行動するだけです。

話した後で相手が元気になれば良いと思います。

2時間話を聞いた後で、彼女は元気になりました。

来月に一時帰国をするそうです。

ぜひ会いたいと言われました。

人生の悩みは尽きません。

その悩みにがんじがらめになっていたら動けなくなります。

私の役目は、その絡まっている糸を切ることだと思っています。

人に必要とされることが、現在の自分の生きる原動力であることを実感しました。

本当に辛いときの過ごし方

人生は辛いことが多く起こります。

辛いときには、このブログを書いて、気を紛らわすこともあります。

他人の人生と自分の人生を比較することはできませんが、

自分の人生は「なぜ?こんなに辛いことばかり起こるのだろう?」と思うことがあります。

人生は、自分が発したものが返ってくるとは理解していますが、理不尽なことが多いです。

仕事がある日には、義務感から行動して、行動しているときには嫌なことは忘れることができます。

しかし、家にいるときや、休みの日には、嫌なことを思い出して、布団の中から出ることができないときがあります。

そんなときにはスマホYouTubeを検索して、元気が出る動画を観ます。

動画から元気をもらえることが多いです。

それで1日過ごしたこともあります。

最近は、辛いときこそ、口角を上げて、上を向くようにしています。

下を向いていると、ますます悪いことを考えてしまうからです。

私は、19歳で実家を出てから、家族と断絶しています。

30歳で結婚はしましたが、

私が53歳のときに48歳の妻が家を出ていきました。

54歳のときに22歳の長男も家を出ていきました。

61歳の現在は27歳の次男と同居しています。

次男は、精神障害者保健福祉手帳3級を取得して、障害者雇用で働いています。

総合病院の経理課で働いていますが、毎晩21時半まで残業を続けています。

今まで、自分の人生について、誰にも相談したことがありません。

相談できる人がいないのです。

仕事の仲間は多くいますが、プライベートの相談はできません。

保健所で次男の将来について相談したことはありますが、答えを出すことはできません。

それは答えなどないことは分かっているからです。

相談すればストレス発散はできますが、問題解決にはならないので相談をしません。

気持ちが沈んだときには、家の中が荒れるので、週に1度の大掃除は欠かしたことがありません。

台所から風呂場からトイレまで水回りはキレイにします。

洗えるものはすべて洗います。

布団も全部干します。

家の中に清潔さは保っています。

日記は毎日書くようにしています。

数行でもポジティブな文書を書くようにしています。

それで自分を鼓舞しています。

1日に何回か心から笑えることがあればと思います。

なかなか笑えることなどありません。

そんな日がいつか訪れることを願っています。

いろいろ愚痴を書いてしまいました。

読んでいただきありがとうございます。

 

 

目の前の現実をどう捉えるか

次男が総合病院の経理で勤め始めてから2年4カ月間が経過しました。

ハローワークを通して、障害者雇用でパートで勤務を始めました。

彼は中学1年生の夏休みから引きこもりになり、19歳まで続きました。

途中なんとか単位制の高校に入学したのですが、数日登校して退学してしまいました。

彼が19歳のときに、妻が家を出ていきました。

長男が大学4年生で何とか就職が決まったところでした。

私と長男と次男が家に取り残されました。

長男は半年後に家を出ていきました。

私と次男の2人暮らしが始まりました。

引きこもりの次男を自立させようと決心しました。

次男を就職させるためには、健康診断書が必要です。

そこで病院で検査を受けました。

悪い箇所だらけでした。

それ以降、2か月に1度は検査のために病院に通っています。

引きこもりから脱するために、いろいろな公的施設を回りました。

保健所や引きこもり相談センターやサポートステーションなどです。

サポートステーションに通っているときに、就職するのならば、精神障害者手帳を取得したほうが良いとアドバイスされ、心療内科で診断書を書いてもらい、精神障害者手帳3級を取得しました。

そのうちに、就労移行支援施設に毎日通うようになりました。

2年間通って、いろいろな資格を取得しました。

電卓、MOS日商簿記を取得しました。

自動車免許も取得しました。

独学で日商簿記2級を取得しました。

次男は知能が低い訳ではありません。

人間関係の構築が苦手なようです。

通っていた就労移行支援施設に就職をして、経理の仕事を担当したのですが、

補助金を搾取するための組織だと分かり、彼が自ら退職を申し出ました。

私は、彼が中卒ではなく、高卒になるべきだと思い、定時制高校に入学することを勧めました。

私が仕事が終わったら、彼に勉強を教えました。

半年続けたのですが、結局、彼が定時制高校を受験しませんでした。

定時制高校の4年間を続ける自信がないということです。

それからは、ハローワークを通して、障害者の求人をもらい、応募しました。

履歴書の添削や面接練習は私がしました。

掃除の会社と総合病院の事務に内定をもらい、結局、総合病院の事務に決めました。

総合病院の経理課に配属されました。

当初は、9時から17時の勤務で残業も無かったのですが、そのうちに経理課の職員が1人辞め、2人辞め、5人いた職員のうち3人が辞めてしまいました。新しく配属された職員も3人中3人が試用期間で退職しました。

原因は、上長のパワハラです。常に部下を怒鳴りつけているとのことです。適応障害になってみんな辞めていきました。

次男も常に怒鳴られているとのことです。

抑うつで通院して、精神障害者として雇用している次男に対しても容赦ないようです。

とうとう5人の職員の仕事を2人でやっているそうです。

次男は、正職員への昇格を願い出たのですが、却下されてパートのままです。

勤務時間は8時30分から17時30分のはずなのですが、毎晩21時30分過ぎまで残業をしています。

残業時間は月に100時間は超えていますが、40時間に削られています。

60時間は自己研鑽ということらしいです。

総合病院はブラック職場というのは聞くことですが、職員が倒れて裁判沙汰になっている案件が数件あるようです。

次男が帰る交通手段がないので、私が車で迎えに行っています。

22時頃になります。

それから帰宅をして夕食を食べたりすれば23時になります。

私は朝6時30分に家を出ます。

次男も朝7時に家を出ます。

次男は日曜日以外は毎日仕事です。

引きこもりを脱して、働き始めた次男にとっては試練だと思います。

毎日、罵倒されながらも働き続けている次男は辛いと思います。

パートタイマーの最低賃金で働いて、正職員以上の仕事をしている彼は、この厳しい現実をどう捉えるか?

人生は山あり谷ありです。

この人で不足の社会ですから、退職しても仕事はあると思います。

人生の転機の選択は自分ですべきです。

自分の人生ですから。

彼がどんな選択をするのかを暖かく見守りたいと思います。

 

厄年のお礼参り

ふと気づいたら厄が明けていました。

気になってネットで調べたら、今年の厄年は、男女共に

昭和40年生まれ 前厄

昭和39年生まれ 本厄

昭和38年生まれ 後厄

とありました。

私は昭和37年生まれですから、厄が明けたことになります。

この3年間にも人生の転機がありました。

昨年の後厄のときに転職をしています。

それが良かったか悪かったかはこれから結果が出ると思います。

とにかく、厄年のお礼参りをしようと思い、

車で10分くらいのところにある神社に行きました。

天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を祀る神社です。

駐車場に車を止めて、境内を歩きました。

桜が満開でした。

小さな神社ですから誰もいません。

賽銭箱にお金を入れて、鈴を鳴らしました。

3年間の無事を報告して、感謝の気持ちを伝えました。

今月62歳になります。

今年は人生の転機になる年です。

無事に転機を過ごすことができたら、再度感謝の気持ちを伝えに来たいと思います。

人の振り見て我が振り直せ

周りの社員を客観的に見ていると、思うことがたくさんあります。

60歳の役職定年を機に、転職をして61歳から新しい会社で働き始めました。

その会社の知り合いの社員から声をかけられて入社しました。

参事という肩書で、コンサルタント的な働き方をしています。

現場に直接出向くことはないので、上司も部下もいません。

人事権も決裁権もありません。

コンサルタント的に社員に指示を出すことはあります。

社員を評価しない、自分も評価されない働き方はとても楽な働き方です。

今月で62歳になります。

良かったことは、今まで培ってきた知識やスキルが活かせる職場であります。

そんな立場ですから周りの社員を客観的に見ることができます。

私は4回転職して5つの会社を経験してきました。

一生懸命働いているのですが、仕事が空回りをして上司から嫌われている40歳代の男性社員。人間関係のトラブルばかり起こしています。

常に、仕事の愚痴や同僚の陰口ばかり言っている50歳代の女性職員。どこにでもいるお局様です。

何をやってもできない、同僚からも見放された50歳代の女性職員。向上心のない一般職の成れの果てのような気がします。

評価権のある上司の前では隠している態度も、私の前では隠しません。

部下をまったく成長させる気持ちがない課長がいます。個人的な株の取引にのめり込んでいるらしく、仕事中も離席して携帯電話で誰かと話している姿をよく見ます。株取引で一財産を築いたという社内でのもっぱらの噂です。

もし自分の部下ならば、部下の成長のためにアドバイスをするのですが、上司と部下ではないので無視をしています。

若い頃の自分は、どんな社員だったか想像することもあります。

猪突猛進の社員であったことは間違いありません。

目標達成のために、周りの社員を鼓舞して、自ら先頭に立って、必死で働いていました。

楽して金を稼ぎたいと思っていた部下からは嫌われていたかもしれません。

効率の良い組織は軍隊です。

私は軍隊を目指していたのかもしれません。

社員の性格適性テストで、外資系企業のマネージャータイプと講師から言われたことがあります。

私は、不器用ながら一生懸命働いている社員には手を差し伸べることにしています。

自分がそうであったから、そんな社員の気持ちは分かります。

定年退職まであと4年間になりました。

「あなたがいて良かった」と言われる人になりたいです。

左遷も考え方で変わる

昨日、知り合いから左遷されたとの連絡が来ました。

会社のある部署の部長です。

56歳。

40歳過ぎて再婚したので、子ども2人はまだ中学生です。

正義感が強く、曲がったことが嫌いな性格です。

経営陣の怠慢な行動に苦言を呈したようです。

その結果、反乱分子とみなされ、閑職に追いやられたようです。

 

彼は、会社員と僧侶の二足の草鞋を履いています。

実家が寺で、父親が僧侶だったが、突然死してしまいました。

そして、檀家が多い寺を継ぐことになりました。

彼は会社に許可をもらって2年間休職し、宗派の総本山で修行をして、得度をしました。

平日は会社で仕事をして、週末は実家の寺で仕事をします。

彼とは25年前からの友人です。

人生の転機のときに腹を割って相談したこともあります。

檀家の法事のときには法話をしているようで、とてもためになる話をたくさんしてもらいました。

今回は、私が僧侶である彼の話を聴きました。

不本意な異動を言い渡されて、心の整理がつかないとのことでした。

彼は会社のために必死に働いてきました。

厳しい会社の経営を立て直すために、考えられる手段を駆使しました。

経営陣は自分の定年退職までの2~3年の年月を楽に生きることしか考えません。

変えようとする彼と、変えたくない経営陣がぶつかりました。

一会社員が経営陣に敵う訳がありません。

彼の気持ちが痛いように分かります。

 

私は考え方によっては、彼の左遷は良いように思いました。

今まで、改革の先陣を切って働いていた彼の「休息の期間」だと思います。

彼は、降格になった訳ではなく、収入が減ることもありません。

「こうあるべきだ」という思い込みを捨て、時間の流れに身を任せるべきだと思いました。

多分、僧侶の勉強を積むこともできます。

逆にチャンスなのではないか?と彼に話しました。

今度、一緒に飲もうという話をしました。

彼の気持ちが和らぐのならば、彼の話をじっくり聴こうと思います。

Time flies like an arrow

毎日があっという間に過ぎ去っていきます。

朝5時40分に起きて、

自宅の最寄りの駅の6時51分の電車に乗って、

会社に8時15分に出勤し、

会社を18時に退社し、

自宅の最寄りの駅に19時30分に着いて、

22時に次男を車で迎えに行き、

23時30分に布団に入る。

歳を取ると睡眠時間が短くなるとは言いますが、

61歳の私は、6時間の睡眠では、さすがに辛いです。

集中して仕事をしていますが、昼間に眠気に襲われることも多くなりました。

光陰矢の如し。

このまま気付いたら65歳の定年退職になるのでしょうか?

サラリーマン生活もあと4年間です。

ラソンで言えば、最後のラストスパートです。

ゴールを目の前に、

諦めて歩くか、ダッシュをするか。

私の性格からすれば、ダッシュをしてしまいます。

サラリーマン生活に悔いを残したくないからです。

一生懸命仕事をして、ボックリ死にたいです。

病気になって、看病が必要になれば、他人に迷惑をかけるからです。

それだけは絶対に避けたいです。

一生懸命やっているうちは、悩まなくて済みます。

行動をしていないと、不安になってくるのは、人間の習性です。

だから一生懸命やってしまいのかもしれません。

仕事があるというのは社会に必要とされていることです。

それは幸せなことです。

そう自分に言い聞かせて生きています。

思いつくままに書いてしまいました。

お読みいただきありがとうございます。