糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

目の前の現実をどう捉えるか

次男が総合病院の経理で勤め始めてから2年4カ月間が経過しました。

ハローワークを通して、障害者雇用でパートで勤務を始めました。

彼は中学1年生の夏休みから引きこもりになり、19歳まで続きました。

途中なんとか単位制の高校に入学したのですが、数日登校して退学してしまいました。

彼が19歳のときに、妻が家を出ていきました。

長男が大学4年生で何とか就職が決まったところでした。

私と長男と次男が家に取り残されました。

長男は半年後に家を出ていきました。

私と次男の2人暮らしが始まりました。

引きこもりの次男を自立させようと決心しました。

次男を就職させるためには、健康診断書が必要です。

そこで病院で検査を受けました。

悪い箇所だらけでした。

それ以降、2か月に1度は検査のために病院に通っています。

引きこもりから脱するために、いろいろな公的施設を回りました。

保健所や引きこもり相談センターやサポートステーションなどです。

サポートステーションに通っているときに、就職するのならば、精神障害者手帳を取得したほうが良いとアドバイスされ、心療内科で診断書を書いてもらい、精神障害者手帳3級を取得しました。

そのうちに、就労移行支援施設に毎日通うようになりました。

2年間通って、いろいろな資格を取得しました。

電卓、MOS日商簿記を取得しました。

自動車免許も取得しました。

独学で日商簿記2級を取得しました。

次男は知能が低い訳ではありません。

人間関係の構築が苦手なようです。

通っていた就労移行支援施設に就職をして、経理の仕事を担当したのですが、

補助金を搾取するための組織だと分かり、彼が自ら退職を申し出ました。

私は、彼が中卒ではなく、高卒になるべきだと思い、定時制高校に入学することを勧めました。

私が仕事が終わったら、彼に勉強を教えました。

半年続けたのですが、結局、彼が定時制高校を受験しませんでした。

定時制高校の4年間を続ける自信がないということです。

それからは、ハローワークを通して、障害者の求人をもらい、応募しました。

履歴書の添削や面接練習は私がしました。

掃除の会社と総合病院の事務に内定をもらい、結局、総合病院の事務に決めました。

総合病院の経理課に配属されました。

当初は、9時から17時の勤務で残業も無かったのですが、そのうちに経理課の職員が1人辞め、2人辞め、5人いた職員のうち3人が辞めてしまいました。新しく配属された職員も3人中3人が試用期間で退職しました。

原因は、上長のパワハラです。常に部下を怒鳴りつけているとのことです。適応障害になってみんな辞めていきました。

次男も常に怒鳴られているとのことです。

抑うつで通院して、精神障害者として雇用している次男に対しても容赦ないようです。

とうとう5人の職員の仕事を2人でやっているそうです。

次男は、正職員への昇格を願い出たのですが、却下されてパートのままです。

勤務時間は8時30分から17時30分のはずなのですが、毎晩21時30分過ぎまで残業をしています。

残業時間は月に100時間は超えていますが、40時間に削られています。

60時間は自己研鑽ということらしいです。

総合病院はブラック職場というのは聞くことですが、職員が倒れて裁判沙汰になっている案件が数件あるようです。

次男が帰る交通手段がないので、私が車で迎えに行っています。

22時頃になります。

それから帰宅をして夕食を食べたりすれば23時になります。

私は朝6時30分に家を出ます。

次男も朝7時に家を出ます。

次男は日曜日以外は毎日仕事です。

引きこもりを脱して、働き始めた次男にとっては試練だと思います。

毎日、罵倒されながらも働き続けている次男は辛いと思います。

パートタイマーの最低賃金で働いて、正職員以上の仕事をしている彼は、この厳しい現実をどう捉えるか?

人生は山あり谷ありです。

この人で不足の社会ですから、退職しても仕事はあると思います。

人生の転機の選択は自分ですべきです。

自分の人生ですから。

彼がどんな選択をするのかを暖かく見守りたいと思います。