糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

必要とされる喜び(その1)

高校時代の友人から依頼がありました。

彼は、今や故郷の県立高校の校長をしています。

それも県内で3本の指に入る進学校です。

依頼とは、その高校の学校運営に関する委員をしてくれないかとのことです。

年に3〜4回、その高校での会議に出席することと、教員や生徒に対して講演をしてくれないかとのことでした。

交通費や手当も県から支払われるとのことでした。

なぜ?私にと思いました。

彼との一番の思い出は、高校の卒業式の後、別れが惜しくて、一晩語り明かしたことです。

41年も前の話です。

それも、惣菜屋さんの外のトイレで、寒さに震えながら、卒業アルバムを見ながら思い出を語りました。

その後は音信不通になりましたが、20年くらい前に仕事で偶然出会う機会がありました。

その後は、たびたび連絡をしていました。

彼は、高校教員としてはエリートコースを歩みました。

県のお金で、教員をやりながら大学院に進みました。

県の教育委員会に長く勤務し、教員を指導する仕事をしていました。

自分の高校時代の恩師を指導したこともあったそうです。

この10年間くらいは、出張の帰りに、新幹線を途中下車して、彼と飲みに行っていました。

彼が校長を降りるまではあと1年だそうです。

定年が61歳だそうで、延びてもあと2年だそうです。

彼は自分の教員生活の最後に、生徒のために実現したいことがあるそうです。

その夢の実現のために、私に手助けを求めてきたのでした。

校長というのはとても孤独な仕事です。

教員は公務員で転勤が多いので、愛校心を持たないそうです。

とくに伝統のある県立高校を改革するのは至難の業です。

生徒も大学受験のことしか頭になくて、楽して偏差値の高い大学に入学する手段ばかり探しているそうです。

一流大学から一流企業に入っても、今やリストラされる時代です。

大学受験が目的ではなく、不透明な時代を生きる力をつける手段として受験勉強があることを生徒に教えたいとのことでした。

彼はすでに動いていて、高校生が東京の一流企業でインターンシップを受けるプログラムを開始していました。地方からバスで生徒を連れてきて、2日間のインターンシップに参加させるそうです。

 

正直言ってとても嬉しかったです。

会社に相談したら、許可が出ました。

報酬はすべて辞退をしました。

彼の心意気に共感したからであって、故郷の県の予算を使うことなど許されません。

何が一番嬉しいかというと、こんな自分でも必要としている人がいるということです。

困ったときに、頭に私のことが浮かんだというのは、聞いて涙が出ました。

友人がやり遂げようとしている夢の手助けができるなんてこんな喜びはないです。

 

と同時に、人生の消化試合のような毎日になっている自分が恥ずかしくなりました。

どうしても、役職定年や定年が近くなると、心に灯っていた火が消えかかってしまいます。

そんな火を再び灯してくれた友人に感謝です。

私は役職定年まであと1年。定年まであと6年。

これを人生の消化試合にしないで、新しいことに挑戦する時期にしたいと決心しました。