妻が家を出て2カ月が経過した。
家事を分担して、2人の息子と生活をしていた。
ある日の朝、体調の異変に気付いた。
呂律が回らない。
話しづらい。
舌が動きづらくなっている。
それでも出勤した。
昼食を取っているときに、お茶を飲んだら、口からこぼれてしまった。
これはおかしい。
そこで仕事を早退して、自宅に戻り、近所の総合病院に行った。
診察時間を過ぎていたので、緊急外来で診てもらった。
簡単な症状を伝えて、簡単なテストを受けると、MRIに入るように言われた。
脳梗塞だった。
髪の毛のような細い血管が詰まったらしい。
言語中枢の近くで詰まったので、話しづらいらしい。
即座に入院した。
別居した妻に電話をしたが通じない。
近所に住む妻の実家に電話をしたら、妻は出張しているとのことであった。
義理の父母が良い人で、次の日に見舞いに来てくれて、身の回りのことをしてくれた。
妻も来たが無視をされた。
入院した日が12月18日であった。
12月29日までの12日間入院をした。
長男は一度だけ見舞いに来てくれたが、引きこもりの次男は一度も見舞いに来なかった。
一度詰まった血管は元には戻らない。
入院中はリハビリに必死になった。
手足には何ら後遺症は残らなかった。
しかし、舌が動きづらいので、構音障害は残ってしまった。
今でも、糖尿病と脳梗塞の薬を毎朝7錠飲んでいる。
話すと、聞き返されることが増えた。
これは、舌が動きづらいために、特定の言葉が出にくいからだと思っている。
年末だったがために、職場の人には気づかれずに、仕事に復帰できた。
妻が家を出て行って、2人の息子を抱えて、精神的にプレッシャーがかかっていたのだと思う。
片道2時間の通勤電車の中で、自然と涙が流れてきたことがあった。
現実を忘れようと努力をしていた。
精神的にはかなり負担がかかり、知らぬうちに体に変調をきたしていたと思う。
気だけは張っていた。
気力だけで生きていた。
ここで死んだら、2人の息子を自立させられないと思ったからである。
だいぶ精神的に強くなったとは思う。
しかし、不幸はこれだけでは終わらなかった。
離婚を迫る妻から、家庭裁判所の調停の手紙が来たからである。
これから1年間の泥沼の生活が始まった。