母の成年後見人の弁護士から手紙が届きました。
母が亡くなったとのことです。
手紙を読んでも悲しいという気持ちにまったくならなかったです。
なぜならば、何十年間も音信不通だったからです。
法定相続人は私と妹です。
父は20年前にすでに亡くなっています。
妹は施設に入り、成年後見人が2人付いているとのことです。
妹が葬儀や埋葬の判断ができないので、私に連絡をしたとのことでした。
戸籍を追って手紙を出したのでしょう。
私は高校卒業と同時に家を出て、生きてきました。
家族の仲が悪く、私は家を出ることに必死でした。
高校3年生のときに、両親から浪人はさせない。
国立大学にしか行かせられないと言われました。
しかし、国立大学には合格できませんでした。
行き場所が無くなり家を出ました。
43年前のことです。
新聞奨学生制度に申し込み、横浜で新聞配達をやりながら浪人をしました。
新聞配達は、集金も拡張もありました。
勉強から遠ざかって、堕落した生活をしてしまいました。
これでは人生がダメになると思い、3年目に実家に戻りました。
実家でも食事はもらえず、風呂と寝るだけの毎日でした。
実家の近くの個人塾で講師をしながら、受験勉強を続けました。
個人塾の先生がとても良い人で、勉強を教えてくれました。
その結果、国立大学に合格することができました。
3浪して22歳のときに国立大学に入学しました。
それ以来、実家にはほとんど帰りませんでした。
帰ったのは1度だけです。
結婚の報告をするときです。
両親は、実家が家を建てたときも知らせてくれませんでした。
父が亡くなったときにも知らせてくれませんでした。
父の妹の叔母から父の死を知らされました。
私に相談もなく私が喪主になっていました。
母に最後に会ったのは、20年前の父の葬儀のときです。
あまりの身勝手な母とは二度と会わないと誓っていました。
聞くと、母の遺産がかなりあるとのことです。
実は、親戚から母は「金の亡者」と言われていました。
家族で旅行も行かない、外食もしない、息子の学費も出さない訳です。
聞くと、施設に入って判断ができない妹も多額の金額を持っているとのことです。
父が亡くなったときの遺産を、母と妹で分けたのだと思います。
母の後見人も2人いました。
1人は弁護士、もう1人は一般の女性の方です。
一般の方と電話で話しました。
その方は、母の入っていた施設のヘルパーさんから話を聞いていたのですが、母はかなり妹を虐待していたそうです。
母はわがままで周りの人をすべて敵にする人でした。
母の兄弟もすべて亡くなって、親戚付き合いもしていません。
妹が判断できないので、今後のことは妹の成人後見人と私で決断することになります。
葬儀はやらずに火葬と埋葬だけにしようと思います。
埋葬場所は、父方の墓にすることにしました。
気が弱くて母に頭の上がらなかった父です。
製紙工場の三交代勤務で、給料はすべて母に渡していました。
子どもに暴力を振るう母に何も言えない父を軽蔑していました。
2人の後見人が困って連絡をくれましので、無視する訳にはいきません。
葬儀社とお寺に電話をしながら何とか前に進んでいます。
成人後見人の弁護士さんによると、貯金だけではなく実家と不動産もあるとのことです。
妹にすべて渡したいと伝えると、施設で判断もできない妹も同じ程度の財産があるとのことです。
妹が死ぬまで困らないお金があるとのことでした。
私も安心しました。
法律に基づいて遺産相続をすることになりました。
母の成人後見人の女性の方と電話で話をしていて言われました。
「あなたは今まで苦労してきたから、その報いだと思ったほうが良いですよ」
あさって火葬です。
火葬場で葬儀社から遺骨を受け取り、私がお寺に遺骨を運び、墓に納骨します。
すべて1人でやります。
感情がまったく湧かずに、淡々と行動している自分がいます。
感情があれば、自分が崩壊すると思います。
自己制御機能が働いているのだと思います。
今までも突然襲ってきた苦境にはそう対処してきました。
62年間生きてきて私の心は強くなったと思います。