糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

これからの人生の過ごしかた

仕事でもプライベートでも嫌なできごとが続いています。

今まで、いわゆる「しがらみ」が嫌いで、糸の切れた凧のように生きてきました。

故郷の家族や墓の問題などを無視して生きてきました。

実家とはこの30年間で1回しか連絡をしていません。

自分が結婚するときに挨拶に行ったときです。

結婚式は挙げませんでした。

この30年間に実家から連絡は1回も来ませんでした。

私が実家を出たときには、市営住宅に住んでいました。

それから一戸建てを購入したのですが、そのときも連絡がありませんでした。

私は実家がどこにあるのかが分かりませんでした。

親父が死んだときにも、連絡がありませんでした。

親父の妹が教えてくれましたので葬儀には参列することができました。

親父の位牌はお袋が受け取りを拒否したので、親父の妹が持っています。

それを私が引き取るように言われています。

コロナ禍で取りに行くことを控えています。

実家が大嫌いで家を出ているのに、この歳になってそれがつきまとってきます。

私の実家は、両親の仲が悪く、食事中でも会話をすることがありませんでした。

母親が家庭内暴力を振るい、私はとにかく実家を出たかったです。

それが今まで続いています。

祖母(親父の母親)が死んだときにも、親父の妹から連絡がありました。

私が唯一繋がっている親戚は親父の妹だけです。

そのときに親父と少し話す機会がありました。

何十年振りに会った親父は、お袋の愚痴ばかり言っていました。

男として情けないと思いました。

「お前の妻なんだから、お前が何とかしろ!」

と心の中で思っていました。

親父がしっかりしていたら、家庭内暴力なんて無かったはずです。

子どもに暴力を振るっている妻に何も言えない親父が本当に情けなかったです。

だから親父が死んだときには悲しくありませんでした。

お袋が現在どうしているのかは私には分かりません。

そうこうしているうちに、私も親父が死んだ歳に近づいてきました。

自分も円満な家庭を築くことはできませんでした。

良い親父だったとは言えないです。

せめて、自分がやれるだけのことはやって、人に迷惑をかけずに死ねたらと思います。

定年退職まであと6年間です。

世間に恩返しできることを淡々と続けていきたいと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございます。

私は書くことで心の整理をしています。