糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

平成の最後の日に思うこと

私は、昭和の最後の日をはっきりと覚えている。

昭和64年1月7日だった。

私は故郷で、戸建ての住宅販売の営業をしていた。

二十代半ばでバリバリの営業マンであった。

それなりに契約も取れて、希望に燃えていた。

一軒一軒の家を訪問する飛び込み営業スタイルであった。

ゼンリンの地図でテリトリーを分け、1日60軒の訪問がノルマであった。

 

朝8時30分に出勤して、事務所でテレビを見ていると昭和天皇崩御の知らせが飛び込んできた。

テレビはどのチャンネルでも同じ映像を流していた。

そのうちに、社員の1人が天皇陛下崩御の新聞の号外を持ってきた。

 

こんな日に飛び込みセールスなんて不謹慎ではないか?

そんな憶測もあり、上司が本社に確認したら、しばらくは飛び込みセールスを中止するとのことになった。

同期入社の営業マンが3人いた。

社内で、4人で時間を潰していた。

 

あれから30年が経過したと思うと感慨深い。

今でもその当時勤めていた会社は細々と経営を続けている。

私は平成2年に、その会社から転職をした。

同期3人も全員転職をした。

そのうちの1人とは、今でも年賀状で繋がっている。

 

平成の30年間は、私にとって人生で一番盛り上がった時期であった。

良いこともあったが、悪いこともそれ以上にあった。

私は、一昨日57歳になった。

故郷を遠く離れて住んでいる。

障害を持つ次男と2人暮らしである。

当時とはまったく違う仕事をしている。

こんな状況になるとは想像もしなかった。

 

明日は平成の最後の日である。

昭和の最後の日に、灯っていた心の炎が、平成30年間で消えかかっている。

もう一度、火を灯して、令和をスタートさせたい。

間違いなく令和は、私の人生の最後の舞台となる。

人生の最後は、燃え尽きて終わりにさせたい。