先週、友人の校長に依頼されて、故郷の静岡県の私立高校の学校評価委員会に参加しました。
その高校は、私が高校生の頃には、いわゆる教育困難校で、不良が多く通っていました。
当時の不良といえば、写真のようなスタイルで、「近寄るなオーラ」を放っていました。
そんな不安を抱えて、その高校を訪問したのですが、現実はまったく違っていました。
不良がいないのです。
生徒たちは校則通りの制服を着て、礼儀正しく振る舞っていました。
運動部の生徒でしょうか、すれ違うと挨拶をしてくれます。
そういえば、暴走族もほとんど見かけなくなりました。
警察官の方に聞いたのですが、昭和の暴走族は知識があり、自分で車やバイクを改造していたそうです。
しかし、令和の時代になると、車やバイクもコンピューター制御になり改造しにくくなりました。
それ以上に、改造する知識を学ばない若者が増えているそうです。
要するに、成長欲求がない。
目立ちたいという精神もないのです。
委員会の資料でも、生徒の自己効力感が極めて低い数値でした。
昭和の不良は自己効力感が高く、行動力がありました。
勉強や運動ができなくても、その道で実力を発揮しようと努力していたのだと思います。
Z世代は目立つのが嫌いだと聞いています。
SNSのアイコンには、顔を出さない人が多いです。
平成の若者は、こぞって写真加工アプリを使って、顔写真を盛っていました。
時代を経るにつれて、若者に元気がないように思います。
人生は経験から成り立っていると思います。
経験は行動から生まれます。
体が動くには、心にエンジンが必要です。
要するに、志「こころざし」があるかどうかです。
素直な若者を見て、一抹の不安が残りました。
人から指示されなければ行動できない若者は、自立できないような気がします。
昭和の不良は有り余るエネルギーを持ち、やんちゃをしていました。
その有り余るエネルギーを違う方向に向ければ、社会で成功する人もいました。
無気力な若者を見ていると、生ける屍のように見えてしまいます。