糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

人の去り際

年度末に退職する方々がいます。

私はいろいろな方を見送ってきました。

去り際にその方の人間性が出ると思っています。

定年退職に抵抗する方を見たことがあります。

「なんで退職しなければならないんだ」と人事課に怒鳴り込んでいました。

会社の規程に反してまで会社に残りたいのですね。

誇張する人も何人か見たことがあります。

「いくつかの会社から来ないかとのオファーが来ている」
そういう人で定年退職後に他社に転職した人はいません。

人知れず有給休暇を取得して、いつの間にかいなくなっていた人もいます。

送別会も断っていました。

会社の煩わしい人間関係を断ち切りたかったのだと思います。

送別会のときに、「この会社にいて良いことは一つも無かった」と挨拶した人もいます。

よほど会社に恨みがあって、我慢して働いていたのだと思います。

 

定年退職というのは、サラリーマンにとっての死と同じです。

私は定年退職まであと4年です。

あと何年いるか分かりませんが、会社を去るときには、感謝して去りたいです。

「あなたがいてくれて良かった」と言ってもらえることが最高の喜びになります。

どうやら自分が死ぬときには独りぼっちのような気がします。

まだまだ未熟な人間で何度も人生をやり直さなければならないと思います。

せめて自分の人生の境遇に感謝をして笑顔で死にたいです。

組織での評価は、「仕事の成果」×「人間性」で決まる

私はサラリーマン生活を通して、いくつかの評価制度で、自分が評価されたり、他人を評価してきました。

どんな評価指標があっても、最終的な評価の決断は好き嫌いだと思います。

評価者の評価が偏らないような研修も受けさせられました。

しかし、人間は感情の生き物ですから公平な評価はできません。

仕事の成果は、景気の動向に大きく左右されます。

だから本人の実力よりも運であることが大きいです。

特に昇進を決めるときには、人間性が大きく影響します。

出世をするということは、人の上に立つことです。

人の上に立つということは人間性が必要になります。

仕事の成果を出してきた人でも、自分勝手で周りの人と不協和音ばかりの人では上司にさせられることはできません。
上司になるということは、チーム全体のパフォーマンスを上げる必要があるからです。

自分1人でできる成果は限られています。

上司の役割というのは、1+1+1を3にするのではなくて、3より大きくすることになります。

私も30歳代の頃は、売上が上がれば良いと思っていたので昇進が遅れました。

自分が成果を出せばチーム全体の成果が上がると思っていました。

上司に成りたての頃は、自分が人の何倍も働いて成果を出せば良いと思っていました。
それが間違いだと気付いたのは40歳頃でした。

自分が一歩引いてでも、周りの人が成果を出しやすい環境を作る。

部下を褒めることで、部下のやる気を引き出し、部下のパフォーマンスを上げる。

その方がチーム全体の成果が上がると気付きました。

それに気付いてからは、部下の前で必死に仕事をすることを止めました。

部下が見ていないところで必死に勉強をしました。

ビジネス書を読み漁りました。

管理職として自分を成長させたかったからです。

管理職として成功するには、「人間性」が一番大事です。

この人の下で仕事をしたいと思える環境を作ることが大事だと思います。

周りを見ていると、常に部下を怒鳴り散らしている上司がいます。

部下はいつも失敗を恐れてビクビクしています。

これではパフォーマンスが上げる訳がありません。

劣等感の強い上司ほど、常に怒鳴り散らしています。

私が部下だったら、常に前向きに行動し、周りの人に元気を与えられる上司の下で働きたいと思います。

「貧乏暇なし」は幸せなことだと思う

この時期になると以前の職場で働いていた人が早期退職する連絡が来ます。

元同僚の何人かが定年を待たずに早期退職をします。

人生はいろいろ、価値観もいろいろですから、その人の人生の決断を歓迎します。

元同僚と言っても、退職してからも交流する人はほとんどいません。

職場の人間関係なんてそんなものです。

会社の人間関係は、効率良く組織が機能するための命令式伝達系統に過ぎません。

ヒエラルキーの上下関係だけです。

組織を離れたら、しょせん独りぼっちです。

元同僚の退職の連絡ついでに、昔の仲間とLINEでやり取りをすることがあります。

何人かから「私は貧乏暇なしです」とメッセージが返ってきます。

すると、私はこう返すようにしています。

「暇がないというのは仕事があるということ。仕事があるというのは社会から必要とされていること。社会から必要とされていることは幸せだと思います」

私の元部下の父親が電通でバリバリ働いていて、60歳で定年退職した後に、やることがなくて精神疾患にかかり、結局仕事に復帰したと聞いたときに、恐らく私も同じようになるなと感じました。

定年退職してから、旅行や趣味に時間を費やすというのも良いことです。

しかし、私は飽きてしまうような気がします。

自分のために時間を費やすことは必要です。

しかし、社会から必要とされている実感がないと、生きている実感がわかないような気がしています。

「あなたがいて良かった」と言っていただけることに喜びを感じます。

承認欲求の押し付けなのかもしれません。

ひょっとしたらボランティアも自己満足の押し付けになるかもしれません。

若いときのように、出世をしたい、金が欲しいというギラギラしたモチベーションはありません。

豪邸に住みたい、高級車を乗りたい、ブランド品を身に着けたいという欲求もありません。

人生の最終コーナーは、自分の人生の意味付けとして、自分の存在価値を認識して最期を迎えたいと思います。

自分の存在価値って何だろうと思うことがあります。

自分の人生で一貫してきたことは「一生懸命やること」だと思います。

これを否定したら、これまでの自分の人生の意味が崩壊します。

今まで仕事を一生懸命やってきました。

仕事以外で一生懸命やれることを探していますが見つかりません。

ただ、仕事を一生懸命やれる環境を与えてもらっていることに感謝です。

女性の意識が変わってきました

昨日、取引業者さんの女性営業の昇進祝いの食事会を開きました。

まだ、社内にも非公表なので、2人だけで会社の近くのファミレスに行きました。

新卒で入社し29歳、結婚して1歳の子どもが1人。

旦那さんも同じ会社に勤務しています。

旦那さんは同じタイミングでベンチャー企業に転職するそうです。

バリキャリの女性が増えています。

以前、私の部下でも、産休に入るのが嫌だと言っていた人がいました。

彼女は結婚しても22時過ぎまで仕事をしていました。

あまりにも激務で妊娠しないので、妊活もしていました。

なぜ産休に入るのが嫌かと言うと、自分のキャリアが中断するからです。

仕事ができない同期の男性に、仕事が奪われるのが嫌だと言うのです。

彼女は第二子を出産したタイミングで、退職して専業主婦になりました。

子育ても立派な仕事だと悟ったようです。

彼女の旦那さんは外資系企業のコンサルでした。

生活するのに十分な収入があったようです。

昨日の女性営業も同じことを言っていました。

妊娠が分かったときに嬉しくなかったそうです。

もう1年妊娠が遅れたら良かったと言っていました。

旦那さんと話し合った結果、産むことに決めたそうです。

彼女は子どもを産んで良かったと言っていました。

子育てと仕事を両立させて人間的に成長できたと言っていました。

仕事も一生懸命、子育ても一生懸命です。

61歳の私は、若者を育てることが仕事だと思っています。

それが取引業者さんの若い営業でも一緒です。

人を育てることが私ができる社会貢献です。

彼女の今後のキャリアを暖かく見守っていきたいです。

自分を主語にして考える

定年退職まであと4年と1か月。

61歳で現在の会社に転職して10カ月間が過ぎた。

前の会社で60歳の役職定年を迎えて、内部監査室に異動を言い渡された。

定年退職までの残りの5年間を内部監査の仕事は嫌だと思い、転職を決意した。

何とか人脈で転職ができた。

今までの広報の仕事を継続できた。

新しい会社で10か月間が経過したが、本当に恵まれた会社である。

東京都千代田区にあり、仕事にはノルマがない。

福利厚生はしっかりしている。

収入も比較的高い。

これまで経営が順調にいってたのだが、これからの人口減少の影響をもろに受ける業界である。

斜陽の業界であることは間違いない。

イノベーションが必須である。

しかし、多くの社員は前例踏襲ばかりの仕事のやり方をしている。

これまでは前例踏襲でも会社の経営は順調であった。

会社の評価制度も減点評価で、挑戦を歓迎しない風潮がある。

特に、一般職の事務の40歳代、50歳代の女性がまったく機能していない。

派遣社員のほうが優秀である。

私が定年退職までの残りの約4年間で何ができるかを考えた。

多少なりとも、「社員の意識を変えよう」と思った。

人が変われないことは百も承知である。

しかし、1人でも変えられれば良いと思っている。

これからの時代は、一般職の事務は廃止される。

だから40歳代の一般職の事務の人から話をしたいと思った。

一緒に仕事をする機会があった45歳の一般職の事務の方に話をしてみた。

会社の宣伝動画を制作するにあたり、その方に仕事を任せようと思い話をした。

すると、「私が担当したら、〇〇(職場の男性の先輩)さんが気分を害しないかしら」

と答えた。

一般職の事務の方は、常に自分はサポートという意識がある。

「言われたことだけをやっていれば良い」という考えが根底にある。

また、その環境の中で自分を甘やかしていた事実もある。

私は、社員には3つの種類があると思っている。

①言われたことよりも上の成果を出す。〇

②言われたことだけを間違いなくこなす。△

③言われたこともできない。✕

悲しいかな②の人は今までコンフォート・ゾーンを出たことがないので、ほとんど成長をしていない。二十歳代の社員と変わりはない。

この考え方を変えるには、「自分が何をしたいか」を根付かせる必要がある。

主語を自分にして考えることが必要である。

「自分で考え」「自分で行動し」「周りを巻き込んで」「成果を出す」

挑戦して、失敗しても、素直に反省して、問題点を見つけて、改善活動を続ける習慣を身に付ける必要がある。

それが人が成長できる手段であるから。

 

社交辞令か?優しい嘘か?

FacebookやLINEの機能で、繋がっている人の誕生日を教えてくれます。

今やプライベートの連絡手段はLINEが主流になっています。

私は他人の誕生日にはメッセージを送ることにしています。

「誕生日おめでとう」の他に、その方に合わせた一言メッセージを付け加えています。

もう10年以上会っていない人にも送っています。

Facebookを使っているのは40歳以上の方が多いです。

LINEはどんな世代の方も使っていますが、20歳代の方々はすでにLINEではなく、

InstagramのDMを使っています。

先日、前々職で一緒に働いたアラ還の男性とLINEでやり取りしました。

誕生日のメッセージが発端でした。

5年ぶりくらいのやりとりです。

会話が盛り上がり、飲みに行こうという話にまでなりました。

彼とは年末年始や会社の慰安旅行では麻雀をやっていました。

風の便りで、彼が会社を突然辞めたということを聞いていました。

彼を評価していた役員が死去して、その役員と対立していた役員がトップに立ちました。

彼は、会社の上層部から仕事ができないというレッテルを貼られたそうです。

LINEのやり取りで、今は幼稚園の用務員をやっていることがわかりました。

一緒に飲みに行く話を具体的にしようとすると、LINEの返信が途切れるようになりました。

数日返信が返ってきませんでした。

催促のメッセージを送ると、昨年、自宅で脚立から落ちて鎖骨を骨折してリハビリ中とのこと、また顔面麻痺にもなったとありました。

彼は若い頃から知っていますが、日本体育大学出身の礼儀正しい嘘がつけない男です。

考えることよりも行動する人間です。

我々は麻雀のときに、「○○(彼の名前)は脳みそも筋肉でできているからな~」と言って大笑いしていました。

飲み会の余興で、日本体育大学のエッサッサを必ず披露していました。

SNSでは盛り上がれるのですが、会えないような感じがしました。

会社を辞めて、不本意な生活をしている自分を見せたくないのでしょうか?

私だって人に自慢できる生活をしていません。

私は彼という1人の人間と会いたいと思いました。

彼がどんなことをしていようが、そんなことは関係ないです。

世間体や見栄などの鎧を脱いで、彼の心と交流したいのです。

私は還暦を過ぎて、次にいつ会えるか分かりません。

会える人には、会えるときに会って、感謝の気持ちを伝えたいと思っています。

LINEにやり取りをしているうちに、なぜか彼とは二度と会えない気がしました。

彼にとっては優しい嘘なのかもしれません。

なぜかそれを察して、涙が出てきました。

会いたい人には、会えるときには、会っておく。

こちらが会いたいと思っても、先方が会いたくない人もいるのです。

これが悲しい現実です。

 

人生の階段を駆け上がる若者

取引業者さんの営業さんから折り入って話があるとの連絡が来ました。

29歳の女性のグループリーダーです。

彼女とは前職の会社からの知り合いです。

彼女は、大学を卒業した後に、その会社に就職し、地方で営業を担当した後に、25歳で本社に戻ってきました。

私が彼女に初めて会ったのは、彼女が前職の会社の営業担当になったときでした。

最初に会ったときのことを覚えています。

自己紹介のためにキャリアを書いた紙を手渡されました。

まるで新卒の大学生の採用面接のようでした。

仕事に真摯に取り組む姿勢に、社内の信頼が増していきました。

そのうちに結婚・出産のために産休・育休期間に入り、営業担当を外れました。

そして私が転職したのでした。

私が現職で、新しいプロジェクトのコンペを実施したときに、彼女は再び営業担当としてプレゼンをしたのでした。

彼女の会社が選定されて、再び一緒に仕事をすることになりました。

彼女は、仕事も家庭も全力投球です。

朝、子どもを保育園に預けて、昼間はバリバリと営業をした後、夕方に子どもを保育園に迎えに行き、子どもの世話をして、子どもが寝た後に仕事をしています。

仕事のメールが23時頃に来ます。

子どもが熱を出したときには在宅勤務です。

オンラインの打ち合わせで、子どもが後ろで泣いていたこともありました。

折り入って話があるのは何?と電話をかけてみました。

すると、4月からマネージャーに昇任するとのことでした。

社内では公表されていないのですが、営業担当を外れることになり、本当に申し訳ないとのことでした。

真っ先に私に謝りたいとのことでした。

彼女は、大学時代はキャリアに関する学部で勉強していたのでした。

私がキャリアコンサルタントやキャリアアドバイザーの資格を持っているので、キャリアの相談をしたいと言われていました。

彼女は、とても向上心があります。

営業をしていて、人を育てる仕事をしたいと思ったそうです。

そこで、人事部への異動を希望したら、彼女の夢が叶ったそうです。

それもこれまでの仕事が評価されて管理職になりました。

彼女の会社は毎日TVでCMが流れている有名企業です。

29歳で管理職は出世が早いです。

「おめでとう!」と真っ先に伝えました。

彼女が営業担当を外れることは、我が社にとっては痛手です。

しかし、彼女の人生にとっては大きなステップアップです。

61歳の私からすれば彼女は娘のような年齢です。

私は取引業者さんの若手の営業が育つように仕事を振るようにしています。

私の世代は、若手を育てるのも仕事です。

だからこそ若手が仕事の成果を出して成長することは私も嬉しいです。

来週あたりにお祝いをしようと思います。