糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

第2の人生のスタート準備

故郷の静岡の友人が校長を務める高校の委員会に参加しました。

今年度4回目の最後の委員会でした。

友人は3月に定年退職です。

委員会の終了後に2人でしみじみ飲みました。

私の帰りの新幹線の時間ぎりぎりまで4時間ほど語りました。

42年前のことが走馬灯のように頭に浮かんできました。

自分たちの人生が何だったのかと考えました。

彼は首都圏の国立大学教育学部を卒業後、地元の静岡に帰り、県立高校の教員になりました。

教育委員会を経て、若くして校長になりました。

トップクラスの進学校の校長ですから出世コースです。

抵抗勢力と戦いながらも学校改革を進めてきました。

彼のその姿勢は尊敬します。

生徒の成長のために戦ってきたからです。

私は、家出同然で故郷を飛び出し、いくつかの職業を経て現在に至っています。

いきあたりばったりの人生でした。

昇りのエスカレーターに乗れた友人とは真逆の人生です。

紆余曲折の人生です。

高校時代に彼とは親友でした。

高校の卒業式の後に別れが惜しくて、卒業アルバムを見ながら朝まで語り明かしました。

あれから42年が経ちました。

俺たちの人生はこれで良かったのか?と2人で考えました。

彼は4月から他の学校の校長になります。

私は、現在の会社で役職定年で働くか、転職するかで迷っています。

高校の卒業式のときは、友人は大学に合格して進路が決まっていました。

私は、大学に合格できずに、家を飛び出し、新聞奨学生となり浪人することを決めていました。

第2の人生のスタートとも一緒だと思いました。

しかし、65歳までは一生懸命生きようと思いました。