還暦を迎えていろいろと考えることが増えてきました。
それは自分の死を意識することができたからです。
誰にでも終わりはあります。
これまでは自分が終わることなど考えたことがありませんでした。
しかし、還暦を迎えて、自分の終わりを意識するようになりました。
自分が死んだらどうなるのだろうか?
同居している次男が生きていけるだろうか?
そんな心配をしても仕方がありません。
次男は生きていくしかないのです。
少なくとも一戸建ての家だけは残ります。
故郷にある墓は永代供養にして墓じまいをしようと思っています。
自分の墓は不要です。
散骨してもらいたいと思います。
位牌も不要です。
息子二人に迷惑はかけたくないからです。
その代わり遺影だけは残して逝きたいと思います。
友人の画家に描いてもらっています。
私は死ぬときに後悔はすると思います。
故郷を飛び出し、行き当たりばったりの人生でした。
もがき苦しんだ人生でした。
それでも何とかここまで生きてきました。
後悔は少しでも減らして逝きたいと思います。
最近は、やり残したことを始めています。
お世話になった人に感謝の言葉を伝えたかったのですが、
連絡をしても、微妙な反応です。
こちらが会いたいと思っても、相手は会いたくないのかもしれません。
年老いた姿を見せたくないのかもしれません。
40年前に新聞奨学生でお世話になった新聞販売店の店長と会おうとしたときもそうでした。
店長の娘さんとはレストランで会ったのですが、店長は最後まで来ませんでした。
お金に困っていたようで、その場の食事代を払えないことにプライドが許せないようでした。
私も後期高齢者になったら、自分の衰えた姿を見せたくないかもしれません。
会いたいというのは、私が感傷に浸るための独りよがりの考えで、相手にとっては迷惑なのかもしれません。
もっとお互いが勢いのある若いうちに会っておけば良かったです。
私は仕事一筋で、人生を楽しむことをしてこなかったような気がします。
家族を楽しませることも少なかったです。
しかし、いざ楽しむことをしようと思っても、何をしたら良いのか分かりません。
私が子どもの頃も家族で楽しむことはありませんでした。
楽しむ経験がほとんどないのです。
趣味でやろうと思っていろいろな道具は買いました。
しかし、それを使う気が起こらなくなっています。
生きる気力が薄らいでいるような気がします。
自分の人生に「意味付け」をする時期に来ています。
自分の人生は挑戦だったと思います。
挑戦なんてかっこよいものではないです。
要領が悪い私は、いつも壁にぶつかりながら生きていました。
その壁を乗り越えるために挑戦するしかなかったからです。
周りの人への感謝の気持ちも足りなかったです。
だから壁が立ちふさがっていたのかもしれません。
死ぬまで挑戦を続けるしかないのかもしれません。
辛い思いをすることで、他人の辛さが分かり、気遣いの気持ちが生まれてきます。
魂が成長するのだと思います。
最近は相談を受けることが多くなりました。
今朝もオンラインで相談を受けました。
私ができる唯一の社会貢献です。
私には、ゆったりとした老後などないのかもしれません。
二人の息子も結婚することはないでしょう。
孫と遊ぶこともないでしょう。
死ぬまで自分を鼓舞して生きていくしかないような気がします。
頭に浮かんだことをやみくもに書いてしまいました。
私の戯言に付き合っていただきありがとうございました。