糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

確かに戦争はあった

夏季休業2日目は、一歩も外出しないで家で過ごしました。

Amazonのプライム会員になっていたので、Amazon Prime Videoで映画を無料で観ました。

スマホの画面では迫力がないので、大型モニターで観ました。

大学時代に観た映画「Uボート」のテレビシリーズがあったので、一気に7話まで観てしまいました。

潜水艦映画の一番の名作は、この「Uボート」だと思っています。

次は、「ハンターキラー」だと思っています。

テレビでは、終戦特集の番組を放映していました。

すでに戦後77年が経過しました。

私が小学生のときの先生の中には、軍人上がりがいました。

昭和40年代のことですから、終戦のときに20歳代だった人が、50歳代の先生として存在したわけです。

小学校6年生のときの教頭先生が軍人上がりの先生でした。

背が高くとても怖かったです。

怒る沸点が他の先生と違います。

勉強ができないでは怒りません。

「時間を守らない」

「約束を破る」

「嘘をつく」

「規律を乱した」

そこが沸点でした。

殴るのは当たり前でした。

それも個人ではなく、連帯責任で、その場に居合わせた男子全員を素手で殴ります。

女子は殴りませんでした。

社会人になってすぐの頃に、知り合いの父親が海軍兵学校卒のイ号○○号の艦長であることが分かりました。

一緒に食事をしながらレイテ沖海戦の話をしました。

山本五十六元帥のことを「五十六さん」と親しみを込めて呼んでいました。

歴史の教科書で勉強したことを、体験した人に質問できるのはとても貴重な体験でした。

転職して2社目の会社の子会社の取締役が、人間魚雷の回天の搭乗員だったことを知らされました。

原爆投下後の広島に入り、傷病者をトラックの荷台に乗せる仕事をしていたそうです。

私の身近には、戦争の生き証人が何人もいました。

しかし、その方々は全員亡くなっています。

地獄を体験した人の口から出る言葉は、本当に説得力があります。

テレビの画面でいくら観せても、他人事であって、まったく心に刺さりません。

こうやって戦争が忘れ去られ、テレビゲームの世界のように感じる子どもが増えています。

中国と台湾の関係を考えたら、日本は戦争に巻き込まれる可能性はあります。

物騒な世の中になってきました。