糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

アラ還の年賀状あれこれ

100枚程度の年賀状のやり取りは続いている。

私は3回転職しているので、4つの会社の同僚がいる。

私は59歳。

誕生日が4月だから、今年の4月に還暦を迎える。

多くの会社の定年退職が65歳になったとは言えども、未だに60歳で定年退職となる会社もある。

前職で一緒に働いた1つ上の先輩の年賀状に、定年退職の知らせと年賀状を止める旨が書かれていた。

彼の会社は60歳が定年退職である。

彼は、数年前に部下の仕事のミスで責任を問われ、課長からヒラに降格になった。

悲しいかな前職の会社は、部下の仕事のミスの監督責任で、半数くらいの課長が降格になっている。

非情な会社である。

彼も、我慢すれば、嘱託として65歳までは残れたはずである。

しかし、退職という道を選んだ。

管理職からヒラで働くのは針のむしろであっただろう。

彼の心情を察することができる。

 

一方で、高校時代の親友の年賀状には元気をもらえた。

彼は、公立高校の校長になった。

いくつかの高校の校長を歴任して、

今や田舎で有数の進学校の校長である。

校長の定年は61歳である。

彼の校長としての任期はあと2年間。

年賀状には、改革と挑戦の年にしたいとあった。

田舎の伝統のある進学校ほど、社会の変化に対応できないジレンマがある。

3年前に彼に会ったときには、それを変えていきたいと言っていた。

教員人生の最後は燃え尽きたいのだろう。

高校時代から変わらない彼の真面目さには感動した。

私も彼に元気をもらえた。

また、彼の年賀状には、息子が結婚したことも書かれていた。

還暦ともなると、子どもが結婚したり、孫が生まれたり、

人生のバトンを子どもに託す年齢である。

 

人生の終着点を探す時期でもある。

仕事での終着点をどこにするか。

これから新しい目標を見つけて、次の人生を始める人もいる。

困ったことに優柔不断な私は、自分の人生の終着点が見つからない。