親父は、19年前に、70歳で心筋梗塞で突然死した。
背中が痛いと言って、自分で近所の病院に行き、そこで亡くなった。
誰も死に目に会えなかった。
昭和6年生まれ。父親(祖父)が戦争中に病死したので、母親(祖母)に育てられた。
弟と妹の3人兄弟。
母子家庭で貧しかったので、弟は叔父の家に奉公に出されたそうである。
尋常高等小学校卒で、下駄屋の見習いの職人になった。
下駄が売れなくなったので、三交代の製紙工場の工員になった。
それから60歳まで製紙工場で働いた。
たまにパチンコに行くだけの仕事一筋の男であった。
60歳で定年退職をした後は、子どもの頃に奉公に出された弟の面倒を見ていた。
弟は病弱だったので生活保護を受けていたようだ。
私は高校卒業と同時に、家出同然で実家を出たので、親父とはまったく会っていなかった。
親父が死んだときに、親父の妹の叔母さんから電話があった。
叔母さんだけが唯一親戚で繫がっている人である。
葬式のときに、親父の顔を見て思った。
だいぶ浮腫んでいた。
死ぬ間際で苦しんだのだと思う。
苦しんだままの顔を、無理やり普通に修整したように思えた。
安らかに死んだ顔ではなかった。
親父はお袋とはほとんど会話をしなかった。
私ともほとんど会話をしなかった。
三交代で勤務は不規則であった。
家と会社の往復の毎日。
家では寝るか、テレビを観るだけだった。
出世もしなかった。
出張のついでに親父の墓参りに行くときがある。
お袋の尻に敷かれていた親父が嫌いだった。
男として情けなかった。
今では何とも思わないようになった。
私も59歳。
親父が死んだ歳に近づいている。
人が死ぬときには、これまでの人生が走馬灯のように駆け巡るという。
ビデオテープが最後までいくと自動で巻き戻るように。
自分が死ぬときには、自分の人生をどう思うだろうか?
今のままでは、後悔ばかりが思い出される気がする。
次男が自活できるようになったら、世の中のためになることをして最期を迎えたい。
親父が定年後に、子どもの頃に生き別れた病弱の弟の面倒を見ていた気持ちが分かる気がする。