糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

お袋について

お袋に最後に会ったのはいつだろうか?

親父の葬式のときだからかれこれ19年も会っていない。

実家の家族の人間関係は希薄であった。

両親の夫婦の会話もほとんどなかった。

親父は、戦前生まれの義務教育しか受けていなかった。

製紙工場の三交代の勤務であったので、生活は不規則であった。

お袋は短大卒でパートで働いていた。

妹は知恵遅れであった。

家族の会話はほとんどなかった。

お袋は俺に期待をしていたのかもしれない。

毎晩つきっきりで私に勉強を教えていた。

問題を間違えれば、棒でこっぴどく叩かれた。

体調が悪くて吐いた物を食べさせられた。

今では虐待と言うのであろう。

そんなお袋の様子を見て、何もしなかった親父が大嫌いであった。

男として、父親として情けなかった。

そんな家族だったので実家にいるのが嫌で、高校卒業と同時に家を出た。

横浜で住み込みの新聞配達をしながら、3浪して、やっと国立大学に入った。

それからは家族と会ったのは数えるほどしかない。

親父が亡くなり、お袋と妹の2人暮らしのはずである。

お袋は83歳、妹は52歳である。

お袋に対しては今でも許せない気持ちが大きい。

しかし、そんな私も、4年前に女房が家を出て、3年前に長男が家を出て、

次男と2人暮らしになってしまった。

愛情表現が苦手な私だから、幸せな家庭など築けないのかもしれない。

これも運命だと思ってあきらめるしかない。

9年間引きこもりだった次男が、女房が家を出たタイミングで外に出るようになり、

4月からは働けるまで回復している。

それがせめてもの救いである。

次男が独立したら、私は独りぼっちになる。

残りの人生は何をしようか考えている。

人のためになることをしたい。