糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

終活を始めています・・・

4年前に軽い脳梗塞で入院したときに、「死」を意識するようになりました。

親父が70歳で心筋梗塞で亡くなりました。

親父はある日、「背中が痛い」と言い出して、自分で病院に行き、そこで亡くなりました。

誰も死に目に会えなかったです。

故郷を離れている私は、仲の良い叔母(親父の妹)から知らされました。

 

3年前にFacebookで中学時代の同級生と繋がり、故郷の同窓会に参加するようになりました。

故郷に帰るのは、その同窓会に参加するために年に1回です。

その際に、親父や祖母の墓に手を合わせてきます。

親父が亡くなったのは70歳でした。

私も親父のその歳に近づいています。

自分もいつ死ぬかわからない。

4年前に入院したときに、そう思いました。

それから終活を始めました。

自分が人生で辿ってきた場所を訪問しています。

故郷の母校、浪人中に新聞配達をしていた横浜、大学のキャンパスや下宿など、思い出ある場所を訪ね写真を撮影して、WEBにまとめています。

今週末に、故郷で中学の同窓会があります。

実家には帰りません。

今さら、どのツラ下げて行けるわけがありません。

同窓会の会場近くのアパホテルを予約しています。

 

参加するのは、これで3回目です。

いつも参加するメンバーは決まっています。

中学を卒業してから42年が経過しようとしています。

同級生の訃報が同窓生のLINEのグループで流れてきます。

亡くなった同級生の顔を頭に浮かべて、心の中で手を合わせます。

幸せな人生であったことを祈っています。

 

死を意識すると、自分の人生を回顧するようにできているのかもしれません。

自分の人生に意味付けをしたいと思うのかもしれません。

自分の人生が良かったと思いたいのだと思います。

 

車で故郷に帰ります。

東名高速道路を走って、富士山が見えてくると、涙が出てきます。

故郷に残って仕事をしていれば、違った人生があったのかもしれません。

考えても仕方がないことですが、今の人生のような「糸が切れた凧」のようにはなっていなかったのではないかと思います。

 

エスカレーターに乗った人生ではなかったです。

自分で階段を一歩一歩上ったような気がします。

その分、苦労は多かったのかもしれませんが、それを乗り越えてきたことで、打たれ強い人間になったのかもしれません。

 

あと何年生きることができるか分かりませんが、一生懸命生きることしか能がない人間であることは認識しています。

同居している次男に迷惑がかからないように、自分の墓を購入しようと考える今日この頃です。