糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

必死で仕事をすること・・・

本日は溜まっている代休消化のために仕事を休んでいる。 天気が悪いので、休みの日課である洗濯と布団干しはできない。 普段できていない事務的な業務や予定を立てている。 東京オリンピックのチケット抽選の申し込みが本日の12時まで延長された。 母国でオ…

これからの人生・・・

二十年来の仕事の友人と飲みに行った。 私はもともとアルコールに弱い体質であったが、脳梗塞になった後はまったく飲まなくなった。 我々は2人とも57歳である、 30歳代の頃に知り合って、違う会社ながら同じプロジェクトに取り組んだ。 会社の利害を超えて…

明るくなるには・・・

日曜日に出張したので、本日は代休を取った。 休みの日の大掃除、布団干し、洗濯が私の日課になっている。 2階建ての一軒家なので、掃除には半日かかってしまう。 トイレの掃除は徹底することを心掛けている。 風呂とトイレが汚いと、心がすさむような気がし…

孤独な戦い・・・

仕事でもうまくいかないことがある。 私生活がボロボロだから、仕事がうまくいかないときにはダブルパンチになる。 これも人生の試練だと思って、乗り越えようとするのだが、そうはうまくはいかないときもある。 布団の中で泣く日もある。 57歳の男がと思う…

心が鈍感になった・・・

辛い経験を繰り返すと、心が鈍感になる。 辛いことに鈍感になるのは良いが、嬉しいことにも鈍感になってしまった。 笑えなくなってしまった。 心から笑うことができなくなってしまった。 世間話もできなくなってしまった。 感情の起伏を抑えるのに、心が保護…

生きる希望・・・

昨今は、働き方改革で休みを取ることが義務付けられています。 日曜日に仕事で出張したので、本日月曜日は代休を取りました。 2カ月に1度は、脳梗塞の経過観察のための通院をして、薬をもらっています。 脳梗塞と糖尿病の2つの病院に通院しています。 本日…

笑顔が出ない・・・

脳梗塞で入院した後、2カ月おきに経過観察のための通院をしている。 次男は中学1年生から引きこもっていたが、中学3年生のときに入院をした。 糖尿病であった。 食事をして、朝から晩まで部屋の中にいたからである。 運動もせずに寝ていたら病気にもなるであ…

必死で生きる・・・

ある日、家庭裁判所から離婚調停の呼び出しの通知が来た。 別居した妻が離婚調停の申し立てをしていた。 妻は離婚を迫っていた。 私は離婚をするのを断った。 それはあまりにも不条理であったからである。 確かに10年前から家庭内別居状態で、ほとんど口も利…

ある日突然・・・

妻が家を出て2カ月が経過した。 家事を分担して、2人の息子と生活をしていた。 ある日の朝、体調の異変に気付いた。 呂律が回らない。 話しづらい。 舌が動きづらくなっている。 それでも出勤した。 昼食を取っているときに、お茶を飲んだら、口からこぼれ…

不幸は続く・・・

4年前の10月に妻が突然家を出て行った。 私には突然であったが、彼女は用意周到に準備してあったようだ。 結婚するときの約束が、私は仕事、彼女は家事だった。 だから私は仕事一筋であった。 正直、家事も子育てもほとんどやらなかった。 それで良いと思っ…

10日ぶりの仕事で

10連休が明けた。 4月27日(土)は出勤したので、10日ぶりの仕事であった。 どこも休みであったので仕事のメールはほとんどなかった。 正直なところ10連休は不要である。 2連休が3回あったほうが良いと思った。 通勤に片道2時間近くかけている。 自宅から最寄…

山は登ったら下りなければならない

10連休の最終日。 この10連休の2日間だけは人に会った。 それ以外の7日間は布団の中で過ごした。 本日は、明日からの仕事に備えて、掃除と洗濯と布団干しをしている。 同居している次男は施設に出かけた。 3浪して大学に入った私は、人生を取り戻そうと大学…

受けた恩は返すべき

10連休中は布団の中でいろいろネットサーフィンをした。 さまざまな人が書いたブログを読んでみたりした。 普段は書かないこのブログを書いてみたりもした。 考える時間も多くあるので、いろいろなことを思い起こした。 命という字は、人は一度は叩かれると…

新聞奨学生だったころ(その3)

結局、新聞奨学生を浪人生活の2年間で経験して良かったと思っている。 それは57歳になって思うことである。 自分の人生が幸せかどうかは、自分が棺桶に入るときに決まると思う。 「何もなくて良い人生だった」と思うのか、 「いろいろあったけど、最後は良い…

新聞奨学生だったころ(その2)

新聞奨学生の2年目は1982年(昭和57年)のことであった。 私は二十歳になっていた。 同じ専売所で浪人2年目を迎えた。 明治大学に合格し、去って行った同僚の代わりに、私と同じ歳の浪人2年目の人が配属された。 後から聞いたのだが、彼はだいぶいわくつきの人…

新聞奨学生だったころ(その1)

ゴールデンウィークで時間があるので書いてみようと思う。 新聞奨学生になったのは1981年(昭和56年)のことであった。 高校はなんとか地元の静岡の進学校には入学できたものの、成績はほとんどビリに近い方であった。 運動部に明け暮れ、勉強はほとんどしなか…

ほとんど家を出なかった10連休

10連休の直前に、仕事の人間関係で大きなトラブルがあり、休む気分ではありませんでした。 生きる気力も湧かないので、ほとんどを布団の中で過ごしました。 スマホでSNSの記事を読んだり、YouTubeで動画を観たりしていました。 こういうときには涙が出る悲し…