糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

何もしない

気力がまったく出ないときがあります。

休みの日には1週間分の大掃除をして、アイロン掛けをしています。

気力が出ないときでも、最低これだけはやります。

家が綺麗になっていないと気持ちが悪いものです。

仕事で着るシャツやズボンにしっかりアイロンがかかっていないと気持ちがシャキッとしません。

この土日の2日間はまったく気力が出ませんでした。

午前中は布団の中でスマホを観ていました。

毎日張り切って生きていくなんてことはできません。

これまで「全力投球」することが正しいことだと信じていました。

だからサボってしまったときには後悔していました。

還暦までそんな生き方をしていました。

しかし、全力投球などできません。

生活にメリハリをつけることで毎日が充実するのだと思います。

頑張るときには頑張る。休むときには休む。

私はかなり偏った潜在意識があるのだと思います。

子どもの頃は、母親の尻に敷かれた父親を見て情けないと思っていました。

将来はそんな父親にはならないと決めていました。

だから男は強くなければならないと思い込んでいました。

中学校のときの部活の顧問の先生は、「男が泣くときはお袋が死んだときだけだ」と言っていました。

その頃から「男は弱音を吐いてはいけない」と信じていました。

しかし、弱音を吐かないと精神がもたないことがあります。

今は弱音を吐く場所がありません。

仕事に行けば否応無しに会話をします。

しかし、自宅に帰っても会話はありません。

同居している25歳の次男とは生活時間帯が違うので、ほとんど会話をすることがないのです。

父親のプライドがありますので、次男に弱音を吐くことはないです。

自分の気持ちを吐き出す場として、このブログを使っています。

ひょっとすると会いたくないのではないか

私の人生の転機でお世話になり、感謝の気持ちを伝えたい人が2人います。

その1人は、高校時代と浪人時代にお世話になった塾の先生です。

その先生は東京の国立大学を退学し、故郷の静岡に戻って個人塾を開いた人です。

私がお世話になったときには30歳の独身でした。

特にお世話になったのは私が21歳のときです。

私は高校卒業と同時に実家を飛び出し、横浜で新聞奨学生をやりながら浪人をしました。

40年以上前の話です。

親からは国立大学の学費しか出せないと言われていました。

2年浪人をしたのですが、国立大学に合格できずに、実家に戻りました。

そのときに、高校時代にお世話になった塾の先生に相談に行ったら、私を講師として雇ってくれました。

毎日、中学生を相手に17時〜21時まで英語の授業をやりました。

先生は21時〜23時まで個人授業をやっていました。

私は15時頃に出社して、授業以外は受験勉強をしていました。

塾には浪人生も出入りしていたので、浪人生と一緒に受験勉強をしていました。

勉強で分からないところは先生に聞いていました。

塾には問題集もあります。

勉強をする環境が整っていました。

一緒に勉強をする仲間もいました。

その環境が私にはとても合っていました。

その結果、法政大学や青山学院大学にも合格できました。

念願の国立大学にも合格できました。

塾の講師のアルバイト代で、大学受験の受験料や旅費を稼ぐことができました。

そんな環境を与えてくれた先生には感謝です。

その環境が無かったら恐らく大学に行くことはできなかったと思います。

違う人生を歩んでいたと思います。

そんな先生も73歳です。

久しぶりにメールをしてみました。

静岡まで会いに行きたいと思ったからです。

しかし、メールの返信がありません。

メールアドレスは間違えていないはずです。

なぜなのだろうと思いました。

ひょっとすると年老いた自分を見せたくないのかもしれません。

お互い歳を重ねていますから、会う機会も少ないです。

だから今のうちに会っておきたいのです。

人生の転機を支えていただいた人には、感謝の気持ちを伝えないと後悔すると思います。

悔しくて涙が出てきました

年賀状を整理していて気づいたのですが、毎年やり取りしていたのに来ていない人が何人かいます。
以前の職場の上司や先輩だととても心配します。
70歳代の後半の方が多いからです。
本日ポストの中に、挨拶のハガキが入っていました。
恐らくご家族の方が出したと思われます。
軽い認知症を発症して老人ホームに入ったと書いてありました。
その方には前職で本当にお世話になりました。
職場の上司や先輩となると、退職後に会いたい人はほとんどいないのですが、その方は退職してからも何度かお会いしていました。
もともどは自衛隊の高射砲部隊の隊長だった人です。
自衛隊を50歳くらいで定年退職して再就職した方でした。
さすが自衛隊だけあって礼儀正しく、いつも姿勢を正していました。
部下想いの方で、苦しんでいる部下にはいつも優しく声をかけてくれていました。
私も昼飯を誘われて、美味しいものを食えば元気が出るからと、一番高いメニューを奢ってもらいました。
こんなに良い人がいるのかと思うくらい良い人でした。
誰もがそう言っていました。
ある日気づいたのですが、その方は難病で苦しむ奥さんと娘さんを看病しながら仕事を続けていたのでした。
その方がどんな遠い場所への出張でも、必ず日帰りをするので不思議に思っていました。
その方が退職後に、奥さんと娘さんが亡くなり、私は葬儀にも参列しました。
その方は一人暮らしになっても、趣味の社交ダンスを続けているから楽しいと言っていました。
15年くらい前に、その方を励ますために元職場の同僚を誘ってカラオケに行きました。
何時間も歌った後で、気づいたらお会計がすべて済まされていました。
その方はどんなに酔っ払っても周りの人への気遣いだけは忘れませんでした。
その後は、私が仕事が忙しくなって会うことも無くなり、年賀状だけの交流になりました。
年賀状を読むたびに、いつかは会おうと思ったのですが、結局会えなかったです。
ポストに入っていたハガキには、先方の住所も連絡先も書いてありません。
恐らく、認知症だから会っても分からないということなのかも知れません。
ハガキを見ながら本当に後悔して、涙が流れてきました。
久しぶりに男泣きをしました。
今年は、会いたい人には会っておこうと思います。
私には尊敬する先輩が2人います。
その2人には今年は会いに行こうと思います。

奇妙な再会が続く

異動する前の職場で一緒に仕事をしていた業者さんが顔を出してくれました。

昔話に華が咲いて、1時間半ほど話をしてしまいました。

もう3年間も会っていなかった業者さんです。

33歳の女性です。

産休・育休を経て職場に復帰したとのことでした。

私と話がしたかったとのことです。

彼女を見送るために会社の玄関に行ったら、別の業者さんに声をかけられました。

7年くらい会っていなかった旅行会社の方でした。

34歳の女性です。

彼女も産休・育休を経て職場に復帰し、異動になって担当が変わったので引き継ぎの挨拶をしにきたとのことでした。

偶然にも私を見かけて声をかけてくれました。

10分間ほど立ち話をしました。

懐かしい業者さんに偶然にも2人会えたというのは奇跡に近いです。

今日は不思議な日でした。

何かを引き寄せているのだと思います。

懐かしい顔ぶれに会えたというのは何かが変わる前触れなのかもしれません。

良い方向に変わって欲しいです。

今年は転機の年にすると決めています。

待っていても転機は訪れません。

挑戦することから転機は生まれます。

挑戦するというのは行動することです。

行動するということは人と会うことです。

明日は人と会うために行動します。

最近は、寝る前の1時間を転職活動に当てています。

明日は実際に応募してみたいと思います。

嫌いな部下の昇進推薦書を書きました

嫌いな部下がいます。

35歳の独身の女性です。

仕事はできます。

なぜ嫌いかというと、周りの人に気遣いができないからです。

わがままです。

敵も多いです。

もう1つ気になるのは、不倫をしている可能性があるからです。

他部署の40歳半ばの男性管理職と毎朝会社の近くまで一緒に通勤しています。

帰るのも一緒のようです。

何人かの社員に目撃されています。

代休を取得する日も一緒です。

モラルに欠けると思います。

 

彼女も私のことを嫌いだと思います。

そんな彼女が一昨年から、主任にさせてくれと言ってきました。

本日は彼女と30分間程度面談をしました。

出世というのは人事権を持つ上司の好き嫌いで決まります。

3月に役職定年を迎える私が推薦書を書けるのはこれが最後です。

好き嫌いではなく、仕事の成果を評価しようと思いました。

嫌いな部下の昇任推薦書を書いて提出しました。

人生を前進させる

年賀状を整理していて思いました。

同級生が定年退職を迎えて、再雇用になったことが書いてあります。

私が出した年賀状の還暦の挨拶を読んで、会えるうちに会いたいと返事が書いてあるものがありました。

還暦って年寄扱いされるのですね。

自分ではまだまだ若いと思っていたのに、周りがそういう扱いをします。

還暦を過ぎると、映画館の料金がシルバー料金になります。

携帯電話の料金も安くなる場合もあります。

自分が年寄だと思うと暗い気持ちになります。

年末年始は2週間近く休みが取れました。

仕事を忘れるために、仕事のメールもグループウエアも開かずにいました。

家の掃除以外は何もすることがありません。

自分がいかに仕事中心で生きてきたことを実感しました。

仕事を辞めたらボケてしまうのではないかと思います。

無理やり趣味に走っても、長続きしないと思います。

ひょっとすると自分は仕事に傾倒することで、人生の嫌なことから逃げていたのかもしれません。

今日は成人式です。

40年前の自分の成人式の日を思い出しました。

故郷を遠く離れた横浜で新聞奨学生をしながら浪人していました。

横浜国大で共通一次試験を受験しました。

同級生が晴れ着を着て成人式の会場に向かうのとは反対に試験会場に歩いていました。

自分の人生は人とは違うことを実感しました。

あのときは人生のどん底だったと思います。

どん底から這い上がるためにもがいていました。

どうしても国立大学に合格したかった。

生活は苦しかった。

しかし、目標はあった。

心は燃えていたのは確かです。

このまま人生をフェードアウトするよりも、

心が燃える生き方が自分には合っているのではないかと思います。

何もない平坦な人生よりも、紆余曲折あっても最後に幸せを感じる人生で終わりたいです。

オーラが出る

大学時代の恩師が言っていたことを今でも覚えています。

「風呂場で裸でいても、人格がにじみ出るようになりたい」

40年近く前の話です。

そのときは大学生の自分には意味が分からなかったです。

しかし、今や私も恩師と同じ年齢になりました。

恩師の言ったことが分かるような気がします。

人間ってオーラがあります。

黙っていてもその人の人格が分かるようになりました。

それは服装や髪型ではありません。

年齢や性別でもありません。

社会的地位や年収ではありません。

表情や雰囲気といったものです。

苦労を乗り越えた人ほどオーラがあります。

昨日は、自分が持つ資格の更新講習で、4人のグループディスカッションをしました。

初めてお会いした方々ですが、瞬時に人間的な序列が分かりました。

誰がリーダーなのかが瞬時で察することができます。

不思議なものです。

私も恩師と同じように、人格がにじみ出る人になりたいです。