脳梗塞で入院した後、2カ月おきに経過観察のための通院をしている。
次男は中学1年生から引きこもっていたが、中学3年生のときに入院をした。
糖尿病であった。
食事をして、朝から晩まで部屋の中にいたからである。
運動もせずに寝ていたら病気にもなるであろう。
東日本大震災が起きたときに、入院患者は一斉に自宅に帰された。
それで次男が自宅に帰ってきた。
それ以来、次男は病院に行っていない。
私が通院のときに、次男に健康診断を受けさせた。
結果は最悪だった。
血糖値どころか肝機能もだいぶ衰えていた。
食事指導で管理栄養士と話をした。
家の事情で、次男が食事を作っていることを伝えた。
次男が19歳で若いので、薬ではなく、食事療法と運動で治療をすることになった。
あれから4年間、2カ月おきに病院で検診を受けているが、私も次男も検査の数値はだいぶ良くなった。
自立させるために、次男を連れていろいろな施設に出向いた。
電車で1時間もかかる施設にも行った。
私が仕事を休んで同行していたが、次男も事情を察して、1人で施設に通うことになった。
引きこもっていたので洋服もかばんもなかった。
1人で外に出るようになってからは、次男は服装や身なりに注意を払うようになった。
次男は毎日施設に通っている。
施設は10時~15時までの5時間の作業である。
施設は車で20分ほどの場所にある。
駅で言えば1駅離れている。
1年目は施設から自宅へ送り迎えの車が来た。
この5月から2年目に入るが、今月からは自転車と電車を乗り継いで通所している。
幸運なことに、その施設に就職をしないかという打診が来た。
本日は、病院の帰りに、次男と外食をした。
彼の話をゆっくり聞いてみた。
施設の指導員には、仲間と雑談をしろと言われているらしい。
笑顔を作れと言われているが、6年間も部屋に引きこもっていた彼からすればそれも難しいであろう。
実は、私も雑談が苦手である。
世間話には入っていけない。
妻が家を出てからは、いつも心に重石が乗っていて、笑うこともできなくなった。
心から笑うということを忘れてしまった。
次男も同じ状態であろう。
私も小さい頃からあまり笑うことをしなかった。
笑える環境ではなかったからかもしれない。
遺伝なのかもしれないと思った。
笑顔の重要性は認識しているのだが、笑顔は意識して作るしかない。