糸が切れた凧の毎日

これまで散々世間に迷惑をかけてきたので、これからは世間に恩返しをする番だと思っています。 周りの人の心に火を灯し、少しでも元気になってもらえれば、私も元気になれます。

毒を吐くと・・・

私の知人で、他人の悪口で会話をする人が何人かいます。

これは他人が居ないときにするから陰口ですね。
そういう人は、何年、何十年間と付き合っていると、かならず不幸になっていることに気づきます。

先日は、私の知人である、40歳代後半の独身の女性と話しました。
彼女は、とても美人でスタイルも良いです。
30歳代前半に見えます。
彼女は、どの職場で働いても、必ず同僚の陰口を言います。
それも何十分間でも話します。
陰口のネタは尽きません。
聞かされるこちらは、本当にウンザリします。
それでも彼女の気持ちが軽くなるからと思い、傾聴していました。
聞いているだけでぐったりします。
生きるエネルギーを吸い取られている感じがします。

私にも言うくらいですから、同居している親にも毎日言っているのだと思いました。
彼女が言うには、
先日、70歳代の母親がくも膜下出血で倒れて、認知症になってしまったそうです。
認知症で、娘とも分からなくなってしまった母親を看病するのは辛いと話していました。

本で読んだのですが、
愚痴や悪口を言っている息を分析すると、毒が入っているそうです。
植物に吹きかけると植物が枯れるそうです。
真偽のほどは分かりませんが、
感情は物質化されていることは医学的には証明されています。
悪い感情のときには、脳の中に悪い感情になる脳内ホルモンができているそうです。

昔から、愚痴や悪口を言うことを、「毒を吐く」と言いますね。
だから、愚痴や悪口を相手に言っていることは、相手に毒を吹きかけていることと同じです。
母親は、毎日娘の毒を浴びていて、病気になってしまったのではないでしょうか?

一番怖いのは、毒を吐くと、それが自分にも降り注いているということです。
自分も知らず知らずに自分の毒に侵されて病気になります。

そういう私も、辛いときには毒を吐きたくなりますが、
辛いことは、神様が自分が成長するために与えてくれた試練だと思い込むことで、毒を飲み込んでいます。
同僚の陰口が始まったら、絶対に陰口に同調しないで、逃げるようにしています。

愚痴や陰口を言わない!
それだけで職場や家庭が、とても居心地の良い場所になります。

信頼と笑顔にあふれた職場や家庭にしたいです。

夢があれば・・・

尊敬できる人に会うことがあります。

そんな人は、必ず辛い経験を数多くしています。
話を聞いてみると、一時期は生きる希望も失っている場合もあります。
しかし、そんな状況から這い上がってきた人は強いです。
特に、心が強くなっています。
辛い経験をしている分だけ、他人の辛さも分かっています。
だからその分、他人に優しくなれます。

 

人の心はそんなに強いものではありません。
仕事で、私生活で、失敗して泣きたくなることはあります。
実際には、隠れて1人で泣いている人も多いでしょう。
人生はほとんど自分の思い通りにはならないものです。
思い通りにならないから心が折れます。

会社の業務命令やノルマが達成できないことよりも
自分が決めた目標が達成できないことはとても辛いです。
心が折れて、体が動かなくなることもあります。
自分の不甲斐無さに呆れて、自己嫌悪に陥ることもあります。

しかし、その辛さを乗り越えられた人が成長できます。

私も半世紀生きてきて、
人生って人間が成長するための試練だと思っています。
辛いことは、自分を成長させるために必要な試練です。

私は3回転職して悟りましたが、
どんな仕事も一生懸命やれば天職になります。
仕事に多少の向き不向きはあっても、長く続ければ必ずプロになれます。
どんな仕事も社会貢献です。
一生懸命やれば人に感謝されます。
一生懸命やればやるほど人に感謝されます。
「人の喜びが、自分の喜び」
これは真実だと思っています。
これが日々の辛いことを乗り越える原動力になります。

何もない人生と
いろいろなことを経験した人生と
死ぬときにどちらが幸せだと思えるでしょうか?

 

最近、人生の目標を失ってしまった独身女性と話をしました。
毎日、時間だけが過ぎていく人生。自宅と職場の往復。たまに職場の愚痴を言うだけの女子会。

どんなに辛くても、自分が決めた夢に向かって、努力を続けていくことは幸せなのだと実感しました。
夢は希望を生みます。
希望は人間が生きる原動力なのだと思います。

私も人生の夢を持ちたいと思いました。

人間を動かしているのは、人間の心

本日は、19年前に一緒に仕事をしていた元上司と元同僚と会った。

広報の仕事をしていた。
8億5千万円の広報予算があった。
やりたいことは何でもできる。
だから何でもやった。

集客は広報が良ければいくらでも上がると思っていた。
実際は、商品価値に大きく影響される。
広報効果にもカバレッジの限界がある。
そんなことは知っていた。

毎晩22時過ぎまで仕事をしていた。
管理職となって残業代が出なくとも仕事をしていた。
夜中の0時1分の終電で帰ることも多かった。
それでも次の日は8時30分には仕事をしていた。

すごく心は燃えていた。
少しでも成果が出ると楽しかった。
しかし、一番の心の支えになったのは、
同僚との信頼関係。
お互いの長所・短所を認め合い、それを補完していたこと。
上司が自分を認めてくれたことであった。
労働環境が厳しくても、心が満たされていれば、自然と体は動いた。

電通社員の自殺の記事を見て思うことがある。
夜中まで働く会社はいくらでもある。
広告代理店、商社、銀行、証券・・・。
長時間労働は絶対に体に悪い。
しかし、一番悲しいのは、
・なぜ?同僚は彼女に優しい言葉をかけてあげなかったのだろう?
・なぜ?上司は彼女の頑張りを認めてあげなかったのだろう?

社員が若いうちに大きく成長するには、
できるだけ多くの経験を積むことは必要である。
いくつかの苦難を乗り越える経験も必要である。

しかし、その人間を動かすエンジンは心である。
心が燃え続けるには燃料が必要である。
その燃料は愛情ではないかと思う。
愛情がないと人間は動かなくなってしまう。

私の上司は組織を上りつめた役職になっている。
同僚は10年勤めて2千万円を貯め、画家を目指して退職した。
今ではそれぞれがそれぞれの道を進んでいる。
会うのは1年に1度であるが、会った瞬間に19年前の信頼関係に戻れるのが嬉しい。
嬉しさのあまり私以外の2人は紹興酒を3本空けて、酔っぱらって立てなくなってしまった。
たった1時間半で1人で8合飲んだことになる。
自分をさらけ出してそこまで酔えるのは、お互いを信頼しきっているからだ。
今の自分がいるのは、そんな友人がいるからだと思う。
そんな友人たちに感謝をしている。

田舎に住む幸せ


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高校3年生の大学受験のときに、東京に住んでいた友人のアパートに宿泊させてもらった。
等々力の木造の古いアパートだった。窓を開けても、30㎝先は隣の家の壁だった。日も当たらない暗い部屋で、昼間でも明かりをつけていた。
そのときに東京には住めないと思った。それ以来、東京に住んだことはない。

今は東京の神保町まで通勤している。片道通勤時間はdoor to doorで1時間40分。電車で座れることは少ない。それでも田舎に住むことにしている。

定年まであと11年。老後のことも考えなければなぁ~。

人生で大切なこと

年賀状を見ていて思うことは、幸せって自分の心が感じることで、それは他人からの評価ではないということです。

これは、私が宗教にかぶれたわけではなく、自分の人生経験から悟ったことです。

 私の年代になると、サラリーマン人生で組織を上り詰めた人も出てきます。

会社で言えば、社長とか役員とかです。
地位も名誉もお金もある人です。
それとは逆に、体を壊して、50歳より前に退職する人も出てきます。
今年の喪中の葉書には、60歳で亡くなった元上司、49歳のご主人を亡くした元同僚もいました。

 割と身近に人生を歩んで、苦楽を共にした人と話をしていると気付きます。

組織を上り詰めることは悪いことではありません。
しかし、無理をして犠牲にしているものが多いです。自分の体であったり、部下であったり、家族であったり・・・。

 人生って山登りと同じです。

山を登っているうちは気が付かないことが多いです。
競争的な企業では、ライバルを押しのけて登ることも要求されます。
20歳代、30歳代は、体に無理が効きますから、睡眠時間を削ってでも仕事をします。
しかし、その歪(ひずみ)は必ず40歳代、50歳代になって出てきます。
いくら社長になったからと言っても、定年になれば「ただの人」です。誰も命令に従いません。

誰もが人生の山を下らねばならないわけです。
自分本位で人生の山を登った人は、山を下るときには誰も寄り添ってはくれません。
山登りは、登りよりも下りの方が危険なのです。
役職があるから部下は従っているだけで、役職が無くなったら見向きもしません。
会社の利害関係のある人間関係ってそんなものです。

 今、まさに人生の山を登っている20歳代、30歳代の人に伝えたいことは、「人に親切にする」です。

見返りを期待しない「無償の愛」です。
楽しいときだけ、一緒にいる友人との縁は長続きしません。
苦しいときに、寄り添ってあげられる友人は一生の縁になります。
人生山あり谷あり。
谷のときに一緒にいてくれる友人がいるかどうかで人生は変わってきます。

 私は30歳代の頃には年賀状を300枚近くやり取りしていました。

学生時代の友人、仕事がらみの友人、飲み友達・・・。
しかし、結婚したり、転職したり、引っ越しをしたりしているうちに、今では100枚くらいになってしまいました。
この100枚のうちで、一生の縁だと思うものは数枚しかありません。

後悔先に立たず。
20歳代の人の教訓にしていただけるように恥を忍んで書きました。

 会社の愚痴や同僚の陰口は必ず相手に伝わっています。

自分の不機嫌を周りに当たり散らしている上司は、周りの人に恐怖を撒き散らしています。
そんな人は必ず不幸になっています。
自分の口から吐いた毒は、最後は自分に戻って自分を潰します。

やはり、周りの人に感謝をして笑顔で生きる人が一番幸せになっています。

私は宗教家ではないですが、そう実感する毎日です。